Baby Dodds
基本情報
生年月日 |
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1898/12/24(New Orleans, Louisiana) |
命日 |
1959/02/14(Chicago, Illinois) |
使用楽器 |
Drums |
経歴
本名はWarren Dodds。"Baby"という綽名は6人兄弟の末っ子であったことに由来する。兄にクラリネット奏者のJohnny Doddsがいる。ジャズ草創期に活躍したの偉大なドラマーの一人であり、Jelly Roll MortonやLouis Armstrong、King Oliverといった1920年代のシカゴのトップクラスのミュージシャンたちと共演したことで名が知られている。
少年時代に、Walter BrundyやDave Perkins、Manuel Manettaにドラムの奏法を教わると、1913年にはニューオリンズのパレードで演奏するようになり、1918年頃までPapa CelestinやJack Carey、Willie Hightower、Louis Delisleといったミュージシャンと仕事をしていた。Frank Dusonが率いていたEagle Bandに参加することもあったようだ。
1918年にFate Marableのリバーボートの楽団に参加し、ここでLouis ArmstrongやJohnny St. Cyr、Pops Fosterなどと共演した。このFate Marableの楽団には1921年まで留まった。
1921年になると、King Oliverから自身のバンドに参加しないかという打診を受け、Baby Doddsはこの話を引き受けた。King Oliverのいたカリフォルニアでのツアーに参加した後、King Oliverと共にシカゴに渡り、King Oliver's Creole Jazz Bandのドラマーを務めた。
1924年にKing Oliver's Creole Jazz Bandが解散すると、シカゴのDreamland Cafeで演奏していたHonore Dutreyの楽団に参加する。この時期のBaby Doddsは、シカゴ市内の他のバンドでも活動していたという。1927年から1929年までは、Kelly's Stablesに出演していた兄のJohnny Doddsのバンドに参加し、ここではFreddie Keppardとも共演する。
1920年代には、こうしたクラブでの演奏活動の他、録音も多く残した。特にJelly Roll MortonのRed Hot PeppersやLouis Armstrong's Hot Sevenなどのシカゴ・ジャズの歴史的な録音に参加したことは、Baby Doddsがシカゴのドラム奏者の中でも最高の評価を得ていたことの証拠だ。
1930年代には、兄のJohnny Doddsの率いるカルテットで演奏していた他、もう一人の兄であるBill Doddsが経営するシカゴのタクシー会社を手伝うこともあったようだ。
1940年1月に歯の状態が悪く演奏ができなくなったJohnny Doddsがバンドを去ると、同年3月までバンドのリーダーを務めた。同年8月に兄のJohnnyが亡くなると、1941年春までBaby DoddsはシカゴのThe Coach ClubでJimmie Nooneと共に活動した。
この頃、ニューオリンズ・リバイバルのブームによりBunk Johnsonが発見され、Baby DoddsもBunk Johnsonと演奏するようになる。1944年にはBunk Johnsonの録音に参加。1945年9月のニューヨークでのライブにも参加している。
1945年12月から1946年1月にかけては、自身の名義での録音も残しており、「Baby Dodds Jazz Four」「Baby Dodds Trio」のクレジットで、Albert NicholasやWellman Braud、Art Hodes、Don Ewellと共演している。
1946年から1947年には、ジャズ評論家のRudi Bleshのラジオ番組「This is Jazz」にも参加し、ほとんどの回でドラムを叩いている。(このラジオ番組には素晴らしいミュージシャンが集まっており、Sidney Bechetが何度かゲストに登場した他、Louis Armstrongが参加した回もある)
1949年に脳卒中を起こすと、Baby Doddsの健康状態は徐々に悪化したが、1959年に亡くなるまで演奏を続けていた。