Pops Foster
基本情報
生年月日 |
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1892/05/18(plantation in McCall, Louisiana) |
命日 |
1969/10/30(San Francisco) |
使用楽器 |
String Bass , Tuba |
経歴
本名はGeorge Murphy Fosterという。ニューオリンズの北68マイルほどの場所にある農場に生まれた。彼の家族は音楽一家で、兄のWillie Fosterはギターとバンジョーを演奏をする。3歳の頃からチェロを教わり、ギターとマンドリン、そして彼のチェロによる兄弟3人(3人目はElizabeth Foster)のトリオバンドをやっていた。その後ベースに転向する。
家族がニューオリンズに移ってきたのは、1902年のこと。1906年にはRosseal Orchestraでベース奏者としてデビューする。なんと14歳のときのことである。1908年頃、Louis KeppardをリーダーとするMagnolia Orchestraのレギュラーの座を手に入れ、またリバーボートの上でKid Ory、King Oliver、Armand J. Piron、Jack Careyなどすばらしいメンバーと演奏をした。
1917年から1921年にかけてFate Marableのリバーボートのバンドで演奏をするが、このときの彼の楽器はチューバであったそうだ。また、セントルイスではCharlie CreathやDeway Jacksonと演奏をしている。1923年にはロサンジェルスでKid OryやMutt Careyらと演奏、1928年にはニューヨークでKing Oliverと演奏をする。その後の1929年から1935年にかけては、Luis Russellの楽団で演奏をするが、この楽団は、1935年から1940年までの間、Louis Armstrongのバックバンドとして活動をすることとなる。
1940年代の彼はSidney Bechet(1945 年)やArt Hodes(1945年から1946年)とともに演奏をしたほか、Rudi Bleshのラジオ番組「This Is Jazz」に出演する。その後もMezz Mezzrowとのフランスツアー(1948年)、Bob WilberやJimmy Archeyとのボストンでの活動(1949年から1951年)、Jimmy Archeyとの渡欧(1952年)と、精力的に演奏活動を続ける。彼の音楽への熱意は死ぬ直前まで衰えることはなかった。
1968年にはArt Hodesとのデュオで「George "Pops" Foster」(American Music)というアルバムを出している。旧友Art Hodesとの実に息のあった演奏で、Pops Fosterが死の直前まで健在であったことがわかる。スラッピング奏法の名手であった。