King Oliver's Creole Jazz Band

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一言メモ

King Oliverが1922年から1924年にかけて率いたシカゴの伝説的なバンド。
当時のトップクラスのミュージシャンが所属しており、1923年には録音も残している。

活動時期

1922年 ~ 1924年

主要メンバー

変遷

ジャズ史を語る上で、King Oliver's Creole Jazz Bandは避けて通ることはできない重要な楽団のひとつである。King Oliverが結成したこのバンドは、シカゴのLincoln Gardenで1922年から1924年まで演奏を続けた。

ニューオリンズの中でも特に秀でたミュージシャンを擁しており、コルネットのKing OliverLouis Armstrongは言うまでもなく、トロンボーンにHonore Dutrey、クラリネットにJohnny Dodds、バンジョーがJohnny St. Cyr、ドラム奏者にBaby Doddsというニューオリンズ出身の音楽家の中でもトップクラスのメンバーを集めていた。ピアノのLil Hardinだけはテネシー州メンフィスの黒人中流階級出身で、大学で作曲とピアノを学んだ才女であった。(なお、クラリネット奏者として、Jimmie NooneBuster Baileyが参加することもあったようだ)

シカゴのLincoln Gardenは、当時、街を治めていたギャングの支配下にあるクラブのひとつで、白人と黒人の客が出入りしていた。1922年夏、Lincoln Gardenと専属契約を結んだKing Oliverは「Creole Jazz Bandで一緒に演奏しないか」とLouis Armstrongに電報を打ち、これに応える形でLouisがシカゴにやってくる。

セカンド・コルネットにLouisを加えたCreole Jazz Bandは、それまで以上に熱狂をもって受け入れられ、Louisのコルネットを聴こうとする客がLincoln Gardenに群がったという。

もっともLouis自身の証言によると、彼の演奏はKing Oliverを打ち負かさないように抑えたものであり、分を外さないように気を遣っていたとのことだ。

1923年になると、Creole Jazz Bandは、ジェネットやオーケー、パラマウントの各レーベルに録音を残した。このおかげで、我々は当時の彼らの演奏を聴くことができるわけだ。

King Oliver's Creole Jazz Band

King Oliver's Creole Jazz Band名義ではないが、Creole Jazz BandBud ScottJimmie NooneBuster Bailey説あり)が加わった録音も残っている。Cメロディーサックスという珍しい楽器を吹いたStump Evansは、夭折した為に知名度は低いが、後にJelly Roll Mortonのバンドにも参加した若き実力者であった。

Louis ArmstrongFletcher Henderson楽団からスカウトされたのは、同じく1923年のことであった。当時、Fletcher Henderson楽団はニューヨークのRoseroom Ballroomとの間で専属契約を結んでおり、Louisがこの機会を活かすには、シカゴを離れる必要があった。この話はLil Hardinの知ることとなり、シカゴに留まることがLouisの将来の為にならないと考えたLil Hardinは、Louisにバンドを辞めるよう促した。内気なLouis Armstrongには逡巡もあったようだが、強気で外交的なLil Hardinに押し切られた格好で、バンドを辞めることを決意する。King OliverLouisの将来を考えて退団を認めたという。

こうして、1924年にLouis Armstrongはバンドを去り、King Oliver's Creole Jazz Bandの幕が下ろされることとなる。