Johnny Dodds
基本情報
生年月日 |
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1892/04/12(Waverley, Louisiana) |
命日 |
1940/08/08(Chicago, Illinois) |
使用楽器 |
Clarinet |
経歴
Johnny Doddsは、初期のジャズにおける偉大なクラリネット奏者のひとりとして知られており、Jimmie NooneやSidney Bechetなどと並べて語られることも多い。弟のWarren(Baby Dodds)もドラム奏者としてジャズ史に名を残している。
Johnny Doddsがクラリネットを始めたのは17歳の時で、Lorenzo Tio Jr.やCharlie McCurdyからレッスンを受けていたとされる。Kid Oryのバンドに参加したのが1911年頃のこと。他には、Jack Careyをはじめとする様々なバンドのパレードの演奏に参加していた。
1917年にはリバーボートでFate Marableとの演奏の機会もあったが、1919年まではニューオリンズのKid Oryのバンドに留まり、このバンドを拠点としていたようだ。なお、弟のBaby DoddsがFate Marableの楽団に参加した1918年以降、1年程の間はKid Oryの元にいたことになる。(この時、Johnny Doddsと弟のWarrenとの間でLouis Armstrong争奪戦が繰り広げられたが、Louis ArmstrongはFate Marableの楽団に参加した)
その後、Johnny DoddsはKing Oliverのバンドに加わる為にシカゴに移動し、1921年頃にはKing Oliverと演奏していた。King Oliver's Creole Jazz Bandには、弟のBaby Doddsの他、Honore DutreyやJohnny St. Cyrといったニューオリンズ出身のミュージシャンやテネシー州出身の女性ピアニストLil Hardinなど、素晴らしいメンバーが集まっていた。1922年にLouis Armstrongが加わるとバンドの人気は更に高まり、複数のレーベルでの録音の機会にも恵まれる。
King Oliver's Creole Jazz Bandの解散後の1924年は、シカゴのDreamland Cafeに出演していたHonore DutreyのバンドやKelly's StablesにおけるFreddie Keppardのバンドに参加している。Kelly's Stablesのバンドでは、Freddie Keppardから引き継ぎリーダーを務めることになる。もっともFreddie Keppardがバンドを抜けたのは形ばかりのことで、その後もKeppardはKelly's Stablesのステージに立つことが多かったようだ。
1920年代は、こうしたステージでの演奏の他、録音の機会にも多く恵まれた。この時期、Louis Armstrong's Hot FiveとLouis Armstrong's Hot Sevenや、Jelly Roll MortonのRed Hot Peppersといった歴史的な録音にも参加している。他にはFreddie Keppardとの録音が残っている他、自身のリーダー名義で、Louis ArmstrongやBarney Bigard、Earl Hines、Honore Dutrey、Lil Hardin、Bill Johnson、弟のBaby Doddsなどとの録音を残している。
ジャズシーンの主流がニューヨークに移った後も、Johnny Doddsはシカゴに留まった。ニューヨークを訪れたのは1938年1月の一度だけであり、これは自身のリーダー名義での録音の為であった。シカゴで兄弟と共にタクシー会社を経営しながら、自身のカルテットでの演奏活動を続けた。
1940年1月に歯の状態が悪化したことで演奏ができなくなると、自身のカルテットをBaby Doddsに譲る。入れ歯の処置を施して演奏への復帰を試みるが、Baby Doddsがリーダーを引き継いだカルテットにパートタイムで参加するのが精一杯だったようだ。同年8月に心臓発作を起こし、シカゴで没する。