Wellman Braud
基本情報
生年月日 |
---|
1891/01/25(St. James Parish, Louisiana) |
命日 |
1966/10/29(Los Angeles, California) |
使用楽器 |
String Bass, Violin |
経歴
Wellman Braudは7歳の時にヴァイオリンを始めた。1908年から1913年までニューオリンズのTom Anderson'sでストリングス・トリオでヴァイオリンを弾いていたという。ニューオリンズにいた頃にはトロンボーンを吹いたという話もある。
シカゴに移った1917年にはベース奏者としての活動が中心になっていたようだ。Lawrence DuhéのSugar Johnny's Creole Orchestraに参加し、ツアーにも行っている。Pekin Cafeに出演していたOriginal Creole Orchestra(この時期にはKing Oliverがリーダーを務めていた)に参加し、Dreamland CafeやDeLuxe Cafeでも演奏した。Wellman BraudがいつまでKing Oliverの元で演奏していたかの正確な時期は不明であるが、Wellman Braud本人や後任のベース奏者であるEd Garlandの証言から1921年後半か1922年初頭までだと思われる。
1922年にCharlie Elgar's Orchestraに参加。1923年にはPlantation Orchestraのメンバーとしてロンドンを訪れ、この時はベースとトロンボーンを担当していた。その後、ニューヨークに移り住む。1927年半ばにDuke Ellingtonの楽団に加入すると、1935年5月までここに在籍した。
Duke Ellingtonの楽団を退団した後は、1930年代はJimmie NooneやKaiser Marshall、Hot Lips Page、Edgar Hayesと演奏した他、Spirits of Rhythmのメンバーとしても活動していた。他にはJelly Roll Morton、Sidney Bechetとも演奏している。1944年夏には一時的にDuke Ellingtonの楽団のサブを務めたこともあった。
1940年代半ばになって、プールホールや食肉販売業を営んで暮らすようになり、フルタイムでの音楽からは引退するが、週末はニューヨークに進出していたBunk Johnsonと演奏する等、定期的なライブは続けていた。
1956年初めには、フルタイムでの音楽活動に復帰し、Kid Oryのバンドに参加。Kid Oryのバンドでは、1956年後半にヨーロッパ・ツアーにも行っている。1960年代はカリフォルニアに移住し、Joe Darensbourgと演奏する。1961年夏に軽度の心臓発作を起こすが、同年秋にはDuke Ellingtonの楽団と共演している。晩年はロサンジェルスで自由契約のミュージシャンと活動していたが、1966年秋に自宅で心臓発作により亡くなった。