Jimmie Noone
基本情報
生年月日 |
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1895/04/23(Cut Off, Louisiana) |
命日 |
1944/04/19(Los Angeles, California) |
使用楽器 |
Clarinet, Alto Sax, Soprano Sax |
経歴
Jimmie Nooneはニューオリンズのクラリネット奏者のひとりで、特にJohnny DoddsやSidney Bechetと並べられ、3大クラリネット奏者と評されることも多い。
ニューオリンズから10マイルほど離れた家族経営農場の生まれで、10歳の頃に初めて手に取った楽器はギターであったという。1910年には家族と共にニューオリンズに移り住み、そこで当時13歳だった2歳年下のSidney Bechetからクラリネットを教わったという。他にもLorenzo Tio Jr.から教えを受けたという話が伝わっている。
Jimmie Nooneの最初の音楽の仕事は、1913年にFreddie KeppardのバンドでSidney Bechetの代役を務めたことで、これがきっかけでFreddie Keppardの元で1年間働いた。また、Buddy Petitと共にYoung Olympia Bandを結成した他、1916年と1917年にはKid OryやPapa Celestinと演奏したと言われる。
1917年後半になると、Jimmie Nooneはシカゴに移り、Freddie KeppardのいたOriginal Creole Orchestraに加わり、1918年春に楽団が解散するまでツアーを行った。一旦はニューオリンズに戻ったJimmie Nooneであったが、1918年秋にはKing Oliverと共に再びシカゴを訪れ、Bill Johnsonの楽団に加わりRoyal Gardensで演奏した。(この楽団はFreddie Keppard脱退後のOriginal Creole Orchestraである)
Royal GardensのBill Johnsonのバンドには1920年夏頃まで所属していたが、この楽団を脱退。その後、Doc Cookeの楽団に加わり、1926年頃まで演奏した。ここではクラリネットの他にソプラノサックスも演奏していたという。なお、1923年9月のOllie Powersとの録音が残っており、これが初録音。その後も、1924年にはDoc Cooke's Dreamland Orchestra名義でレコーディング。1926年と1927年にもDoc Cookeの楽団での録音が残っている。
Jimmie Nooneは1926年夏頃からApex Club(当初はNestという名前のクラブだったがすぐに改名)で自身のJimmie Noone's Apex Club Orchestraを率いる。Apex Clubは1928年春には閉鎖されることになるが、Jimmie NooneはApex Clubの閉鎖後もApex Club Orchestraの名前を使った。1928年に録音したJimmie Noone's Apex Club Orchestraの録音は、アルトサックスを務めるJoe Postonにメロディーを任せJimmie Nooneが即興演奏するというスタイルや、ピアニストのEarl Hinesをフィーチャーした演奏がよく知られている。
1928年以降もシカゴの様々なクラブで演奏を続けており、ジャズの中心がシカゴからニューヨークに移った後も、シカゴに留まった。(1931年の1か月間のニューヨーク訪問ではSavoy Ballroomで演奏し、1935年初めにもニューヨークでWellman Braudと演奏しているが、基本的には1943年頃までシカゴを中心に活動していた。)
1943年にJimmie Nooneはカルフォルニアを訪れる。これは、Kid OryのバンドでOrson Wellesのラジオ番組シリーズに出演する為であり、ちょうどこの時期は、ニューオリンズリバイバルのブームが起こった頃でもあった。ラジオ番組への出演などにより、ニューオリンズが誇る名クラリネット奏者であるJimmie Nooneも注目されるかに見えたが、1944年4月に心臓発作によりJimmie Nooneが亡くなってしまったのが残念でならない。