Albert Nicholas

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基本情報

生年月日
1900/05/27(New Orleans, Louisiana)
命日
1973/09/03(Basie, Switzerland)
使用楽器
Clarinet, Soprano Sax, Alto Sax

経歴

Albert Nicholasはニューオリンズ出身のクラリネット奏者であり、Wooden Joe Nicholasの甥にあたる。10歳の頃からクラリネットを始め、14歳の時にLorenzo Tio Jr.の教えを受けた。銀行のメッセンジャーとして働く傍らで、Buddy PetitJoe OliverManuel Perezといったニューオリンズで人気のミュージシャンとギグを行っていたという。

1916年11月から1919年12月まではアメリカ商船隊に入隊。ここを除隊後は、Oke Gaspardが率いるMaple Leaf Bandを含む様々なバンドで演奏した。1922年春からはManuel Perezのバンドに加入。その後、1923年初め頃からは自身の6人編成の楽団を率いてTom Anderson's Cabaretに出演した。1924年5月から7週間程の間、King Oliver(Joe Oliver)のツアーに参加する為にニューオリンズを離れるが、ツアーから戻った後もTom Anderson's Cabaretへの出演は続けた。

1924年12月にシカゴに赴いたAlbert Nicholasは、King Oliverの率いるDixie Syncopatorsに加入すると、1926年8月頃まで活動し、録音も残している。(なお、1925年のRichard M. JonesJohnny St. Cyrと吹き込んだトリオの演奏が初録音であり、その他にもLuis Russellのリーダー録音にも参加している)

Dixie Syncopators脱退後は、上海やカイロ、アレクサンドリア、パリと海外で活動するが、1928年11月9日にアメリカに帰国。同月にLuis Russellの楽団に参加すると、1933年12月までこのバンドで活動を続けた。

1930年代は、Luis Russellの楽団脱退後、Chick WebbSam WoodingBernard AddisonJohn KirbyLouis Armstrongといったバンドリーダーの下で活動。1940年にはZutty Singletonのグループに参加した他、1941年夏には、John Kirby SextetBuster Baileyの代役を務めた。

1941年後半、Albert Nicholasはフルタイムでの音楽活動から引退し、ニューヨークの地下鉄で警備員とした働くようになり、その後はワシントンD.C.でアメリカ政府に雇用されていた。

音楽活動が活発になったのは、1945年後半のことであり、この時にニューヨークに戻ったAlbert NicholasはピアニストのArt Hodesの下で演奏した他、3日間程であるがBunk Johnsonとも共演の機会があった。

1946年2月にはカリフォルニアに赴き、Kid Oryのバンドに参加。1948年にはピアニストのRalph Suttonのトリオに参加した。1949年から1953年にかけては、主にロサンゼルスとその周辺で自身のグループを率いていたという。1953年に渡仏すると、以後はヨーロッパに居住する。その後の主な活動としては、1959年と1960年のアメリカへの演奏旅行、1967年のイギリスでの単独公演、1969年末から1970年初頭にかけてのニューオリンズ訪問がある。