Freddie Keppard

提供: 初期のジャズ

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基本情報

生年月日
1890/02/27(New Orleans, Louisiana)
命日
1933/07/15(Chicago, Illinois)
使用楽器
Cornet

経歴

Buddy Boldenに続く二代目ジャズ王と呼ばれるのが、Freddie Keppardである。1901年にはすでに音楽の仕事をはじめ、1906年にはOlympia Orchestraを組織する。また、葬式でのフューネラルの演奏やニューオリンズのストリーヴィルのクラブなどでの演奏も自由契約でこなしていた。 1910年にはEagle Bandでも時折プレイし、その名声を高めた。

1913年から1918年までの間は、Bill JohnsonOriginal Creole Orchestraに参加しアメリカ北部で演奏するが、この旅行についてはある有名な逸話が残っている。一行が1916年にニューヨークにやってきた時、ビクターがFreddie Keppardに録音させて欲しいと申し出た。しかし、かれはその申し出を断ってしまったそうだ。その理由は「演奏技術を他人に真似られるのが嫌だから」というものだった。そして、かれは歴史上初めて録音を残したジャズバンドという栄誉を、1917年に録音したOriginal Dixieland Jass Bandに譲る事となってしまったという。この話には、明確な証拠がないため、はっきりした事は言えないが、もしも事実ならもったいない事をしたものである。

多くのニューオリンズの音楽家たちと同様に、かれもまた1920年代のはじめ頃にシカゴへと移動する。Doc Cooke楽団に参加したのは、この頃の事である。1923年から1927年にかけてシカゴで録音。しかし、1920年代半ば過ぎからのかれはアルコール中毒であり、最盛期からは程遠かったという話もある。酒浸りの日々が続いた後、1928年には結核を患う事となる。そして、ついに音楽から引退せざるをえなくなった。かれはこの病気が原因で、1933年にこの世を去る。