Bunk Johnson

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基本情報

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生年月日
1879/12/27(New Orleans, Louisiana)
命日
1949/07/07(New Iberia, Louisiana)
使用楽器
Trumpet

経歴

本名をWilliam Geary Johnsonという。幼い頃からコルネットを吹いていたかれは、1896年頃にはバンドで演奏していたそうだ。また、Buddy Boldenのプレイを初めて聴いたのもその頃であると言われており、その後、Buddy Boldenにコルネットの奏法を教わりはじめた。Buddy BoldenBunk Johnsonを可愛がり、Buddy Bolden's Bandでプレイさせたそうだ。

1900年前後のBunk Johnsonは、おもにサーカスのテントやミンストレル・ショーで演奏をしていた。1905年頃には、このテントの旅で、カルフォルニアにまで行ったという。1910年頃にニューオリンズに戻ると、Billy MarreroOriginal Superior Orchestraでプレイした。

1911年には、Frank DusonEagle Bandに加入する。しかし、その頃のかれは酒浸りで、結局のところそれが原因でこのバンドを離れる事になる。その後はキャバレーなどでもプレイしたが、やがてミシシッピー河の船上で演奏するようになり、Jack Careyなどとプレイしていた。また、ニューオリンズのニューイベリア地方でも演奏をし、その聴衆の中にはまだ幼いLouis Armstrongがいて、Bunk Johnson本人の言葉を信じるなら、その後、Louisにコルネットの奏法を教えることになる。

1915年頃にニューオリンズを去ったBunk Johnsonは、再びサーカスのテントなどで演奏するようになる。1920年になると、トランペット奏者Evan ThomasBlack Eaglesに、第二トランペット奏者として加入し、その後このバンドに数年とどまった。1930年代初め頃、このバンドにGeorge Lewisが加入した事も述べておく必要があるだろう。

1932年に、ルイジアナ州のレインという町で演奏していたときのことである。ショッキングな事件がおきた。ステージの上でバンドリーダーであったEvan Thomasが殺害されたのである。この事件がきっかけでバンドはばらばらになり、またBunk Johnson自身も喧嘩のため楽器を壊され、歯もなくなってしまっていた。その後、数ヶ月は細々と音楽活動を続けるが、かれはついに引退を決意する。1933年の事である。

その後四年ほどは、さとうきびの運搬トラックの運転手として過ごした。しかし、1939年に出版された、Bill RussellとFredric Ramseyの著作『Jazzmen』によってリバイバルブームが起こると、伝説のBuddy BoldenとプレイしたというBunk Johnsonに注目が集まる事になった。『Jazzmen』のためにBunk Johnsonの資料が集められていた1937年から1938年にかけて、Louis ArmstrongがBill RussellたちにニューイベリアにBunk Johnsonが住んでいる事を教えた。その事がBunk Johnsonの音楽界への復帰のきっかけとなったのである。

その頃のBunk Johnsonは、使い物にならないくらい壊れたトランペットしか持っていなかったため、新しいトランペットが買い与えられ、また歯が一本もなかったため、ニューオリンズの歯医者(Sidney Bechetの兄)が入れ歯を作った。こうして、[[Bunk Johnsonは「Maple Leaf Rag」を吹込んだ。ちなみに1942年2月2日のことである。

この録音を聴いてジャズ・マン・レコードがOKサインを出し、1942年6月にGeorge LewisJim RobinsonLawrence Marreroなどと初レコーディングを行なうことになる。その翌年にはサンフランシスコの白人バンドであるYerba Buena Jazz Bandと活動するが、ここではBunk Johnsonの尊大な態度と白人たちの人種差別的発言が原因で、ついには警官が出動する騒ぎにまで発展してしまう。失意のBunk Johnsonはニューオリンズに戻る。その後、1944年にGeorge LewisJim RobinsonLawrence Marrero、新しく加わったドラムのBaby Doddsなどとレコーディングを行なった。このメンバーでの録音はその後も何回か行われている。

1945年にはボストンのSidney Bechetをたずね、自分のプレイをBechetのソプラノサックスのスタイルを取り入れようという努力もしているが、これは失敗に終わったようだ。その後のBunk Johnsonは録音の機会はあったものの、それと同時に酒浸りになり、ついにはバンドは解散という事になる。1946年にGeorge Lewisのはからいで、バンドが作り直されるが、新しいバンドのメンバーを二流呼ばわりした事から、同年5月31日にまたしても解散する。

ひとりになったBunk Johnsonはニューヨークに出て、再起の為にバンド結成するべく動き回り、いくつかのセッションで録音を残した。1948年についにBunk Johnsonは引退し、ルイジアナ州ニューイベリアに戻ると、その翌年にこの世を去った。