Lil Hardin
基本情報
生年月日 |
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1898/02/03(Memphis, Tennessee) |
命日 |
1971/08/27(Chicago, Illinois) |
使用楽器 |
Piano , Vocals |
経歴
Lil Hardinは、草創期のジャズ史で最も有名な女性ミュージシャンのひとりである。ニューオリンズ出身のミュージシャンによる重要なジャズバンドの多くに所属し、そこでピアノを弾いた他、作曲や編曲も行った。後に歌手としても成功しただけでなく、優れたバンドリーダーでもあった。
Lil Hardinは、テネシー州メンフィス生まれで、地元のフィスク大学で三年間、ピアノと作曲を学んだ才女であった。家族と共にシカゴに引っ越したのが1917年のこと。Sugar Johnny's Creole Orchestraに誘われたことをきっかけに、プロのピアニストとして活躍するようになり、その後はFreddie Keppardのバンドにも参加している。1920年頃には自身のバンドを率いてDreamland Cafeに出演するまでになっていたという。
1921年にKing Oliver's Creole Jazz Bandに加入すると、その翌年、ニューオリンズから出てきたLouis Armstrongと出会う。田舎臭さの残るLouis Armstrongに戸惑う一方で、そのLouisの吹くコルネットの素晴らしさにLil Hardinは興味を覚え、次第に惹かれていったというのは、後日、本人が語るところだ。1924年の2月5日にふたりは結婚する。
Louis ArmstrongとLil Hardinは、1923年にこのKing Oliver's Creole Jazz Bandで初録音を残すと、その後もこのメンバーで数々の名演を吹き込んだ。King Oliver's Creole Jazz Bandは、Johnny DoddsやHonore Dutrey、Baby Doddsなど、当時の一流ミュージシャンを擁する素晴らしいバンドであったが、金銭的なトラブルが元でJohnny DoddsとBaby Doddsが脱退するという事件が起きる。そんな問題を前にしてもKing Oliverの元を離れようとはしない夫の姿を見ていて、Lilは、Louisの才能を活かす為にはOliverの元にいるべきではないと考えるようになった。
Lilの説得に応じたLouisがFletcher Hendersonの楽団に加入する為にニューヨークに旅立ったのが1924年のこと。一方で、Lilは母の病気を看病する為にシカゴに留まる必要があり、結婚直後であるにも関わらず、ふたりは離れて暮らすことになる。
1925年後半にLouis Armstrongがシカゴに戻ると、Lil Armstrongは、Kid OryやJohnny Dodds、Johnny St. Cyr等とLouis Armstrong's Hot FiveとLouis Armstrong's Hot Sevenの一連の録音を残す。このレコーディングの中でLilはピアノを弾くだけでなく、歌を歌い、いくつかの曲の作曲もこなした。自身のリーダー名義でのLil's Hot ShotやNew Orleans Wanderers等のLouis Armstrong's Hot Fiveのメンバーを中心とする吹き込みもこの頃のものである。
1928年にはFreddie Keppardのツアーに参加。1928年から1929年にかけてはJohnny Doddsのレコーディングに参加する等、その後も精力的に音楽活動を続けていた。1930年代後半にはスウィングスタイルの歌手としても成功し、ニューヨークで録音も多数残している。なお、Louis Armstrongとは1931年に別居し1938年に離婚しているが、友人としての関係は生涯にわたって続いた。
1940年代になるとLil Armstrongはシカゴに戻り、そこでニューオリンズやシカゴ出身のミュージシャンと共演する。1952年には渡欧し、主にパリで演奏している。(ロンドンも訪問している)
1971年にLouis Armstrongが亡くなると、Louis Armstrongを偲ぶメモリアル・コンサートが開催され、Lil Armstrongもこれに参加した。このコンサートで"St. Louis Blues"の演奏中にLil Armstrongは息を引き取った。これは、元夫の死から2か月後のことである。