Barney Bigard
基本情報
生年月日 |
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1906/03/03(New Orleans, Louisiana) |
命日 |
1980/06/27(Culver City, California) |
使用楽器 |
Clarinet, Tenor Sax |
経歴
Barney Bigardと言えば、Duke Ellingtonの楽団やLouis ArmstrongのAll-Starsでのクラリネット奏者としてのイメージが強いが、1920年代の頃はどちらかと言うとテナーサックス奏者としての活動が多い。
Barney Bigardの家系は音楽に馴染みがある家柄で、叔父のヴァイオリン奏者Emile BigardがBarney Bigardに音楽を教えた。兄のAlex Bigardはドラム奏者で、従兄にはNatty DominiqueやArmand J. Pironがいた。Barney Bigardは7歳の時にE♭クラリネットを始め、Lorenzo Tio Jr.のレッスンを受けていたという。
ニューオリンズではパレードでクラリネットを演奏する他、写真家としても仕事をしていたが、やがてテナーサックスを専門とするようになり、1922年後半からTom Anderson'sでAlbert NicholasやLuis Russellのバンドと演奏するようになる。
1924年後半にニューオリンズを離れてシカゴに移り住むと、King OliverのDixie Syncopatorsに参加し、1927年半ばまで在籍していた。この間にKing Oliverとの録音の他にJelly Roll Morton's Red Hot PeppersやLuis Russellの楽団とも録音を残している。
Dixie Syncopatorsに参加した当初はテナーサックスを担当していたが、クラリネット奏者のAlbert NicholasとOmer Simeonが退団したタイミングで、Barney Bigardはテナーサックスとクラリネットを持ち換えながら演奏するようになった。
1927年にDixie Syncopatorsは中西部をツアーし、その後、ニューヨークのSavoy Ballroomの仕事を得た。Barney BigardもDixie Syncopatorsの一員としてSavoy Ballroomに出演していたが、契約が切れるとDixie Syncopatorsの仕事はなくなり、楽団の他のメンバーと共にLuis Russellの元で演奏することとなる。Luis Russellの楽団が出演していたNest Clubはチップをくれる気前の良い客が多いことで知られ、Barney Bigardもこの状況に満足していたが、ベース奏者のWellman BraudがBarney Bigardを口説き落とし、1928年1月にはRudy Jacksonの後任としてDuke Ellingtonの楽団に加入した。(Nest Clubで演奏していた期間は僅か2ヶ月ほどだった)
Duke Ellingtonの楽団では主にクラリネットを担当し、1942年6月まで在籍していた。Barney Bigardの代表曲と言えば、作曲者としてもクレジットされている"Mood Indigo"だろう。
退団後は1942年8月に自身のコンボを組んだ後、1942年11月から1943年夏までFreddie Slackのバンドに参加。1944年秋から1945年初頭はニューヨークで自身のコンボ編成のバンドで演奏。1946年はKid Oryと定期的に演奏する機会が多くなり、映画「ニューオリンズ」にも出演している。Louis ArmstrongのAll-Starsに加入したのは1947年8月のこと。不参加だった時期もあるが、Louis Armstrong All-Starsでは1955年8月まで活動していた。
1950年代後半から1960年代にかけては、Ben Pollack、Cozy Cole、Art Hodes、Eddie Condonなどと活動した他、ディズニーランドで演奏していたJohnny St. Cyr's Young Men of New Orleansへの参加、1960年から1961年にかけてのLouis Armstrong All-Starsへの復帰などが主な活動である。
1971年には白内障手術を受けるが回復し、1970年代はアメリカとヨーロッパで多くのフェスティバルに参加していた。