Edmond Hall
基本情報
生年月日 |
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1901/05/15(Reserve, Louisiana) |
命日 |
1967/02/11(Boston, Massachusetts) |
使用楽器 |
Clarinet |
経歴
父のEdward Hallの影響もあるのか、4人兄弟はみなミュージシャンになった。特に弟のHerbert Hallは有名。そして、Edmond Hall自身も最も成功したクラリネット奏者の一人であった。アーリージャズにおける3大クラリネットと言えば、Johnny Dodds、Jimmie Noone、Sidney Bechetということになるのかもしれないが、スウィング期における3大クラリネットということになれば、Barney BigardやBuster Baileyに並んで彼の名前が挙がるかもしれない。この時期には、優れた白人クラリネット奏者も多く、異論を唱える方もいるだろうが、それでも「King of Swing」と呼ばれた完璧主義者のBenny Goodmanをして「もしクラリネット奏者が必要な時はEdmond Hallを使う」とまで言わしめた彼の実力を否定することはできないだろう。
彼の音楽キャリアは、意外かもしれないがギター奏者として始まった。故郷のリザーブで近所に住んでいたKid Thomas Valentineのバンドでギターを弾いていたのが14歳の頃。その後、独学でクラリネットを学び、17歳の時にはBud Russellのバンドに加わる。その後、Jack Careyのバンドを経て、Buddy PetitのBlack And Tan Orchestraに参加。Buddy Petitとはツアーも経験している。他には、Chris KellyやLee Collinsとも演奏したことがあるようだ。
Alonzo RossのDeluxe Syncopatorsに加入したのが、1926年。1927年にはこのバンドで初レコーディングを経験。1928年のニューヨークへのツアーでは、 Roseland Ballroomで2週間演奏した後、バンドを脱退。同僚だったCootie WilliamsとともにArthur "Happy" Fordの楽団に入り、Happylandで演奏するようになった。
1929年に加入したClaude Hopkinsの楽団では、1935年まで演奏。1936年からはLucky Millinderの楽団。1939年には、Zutty Singletonのトリオに参加した他、Joe Sullivanとも演奏している。1930年代のほとんどは、ニューヨークで過ごした。
1940年には、Henry "Red" Allenのバンド。1941年に参加したTeddy Wilsonのバンドでは、レコーディングの他にラジオ等にも出演。Duke Ellingtonからの誘いもあったようだが、これを断りこのバンドには1944年まで在籍していた。その後、自身のバンドで、ニューヨークのCafe Societyにレギュラー出演。1947年からはボストンで演奏している。
1950年代はEddie Condonと演奏。その後、Barney Bigardの後釜として、Louis ArmstrongのAll Starsに参加。このLouis Armstrong All StarsでのハードなスケジュールがEdmond Hallを引退へと駆り立てた。ニューヨークから離れたかったのか、1959年秋には移住目的でガーナに行っている。だが、この移住計画は頓挫。1959年の12月にはニューヨークへ帰ってきている。
1960年代は、Eddie Condonとの仕事や、自身のカルテットでの演奏が主な活動だった。ヨーロッパへのツアー等、死ぬまで精力的に活動した。
ダーティー・トーンを駆使したEdmond Hallのプレイは、荒々しく強烈だ。彼のプレイがバンド全体を高揚させているようにも思える。スウィング期における白人クラリネット奏者の都会的で洗練されたイメージとは違った味わいがあり、ニューオルリンズ出身のクラリネット奏者らしいアメリカ南部の香りだ。