Lee Collins

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基本情報

生年月日
1901/10/17(New Orleans, Louisiana)
命日
1960/07/03(Chicago, Illinois)
使用楽器
Trumpet

経歴

Lee Collinsは12歳の時にトランペットを始め、トランペット奏者であった父のJohn Collinsや音楽教師として名高いJim Humphreyの指導を受けたと言われる。

15歳の頃から音楽の仕事を始め、Zulu's Clubでの演奏の仕事を得た他、Pops Fosterと共にYoung Eagles Bandを組織した。1917年から1918年にかけては、このYoung Eagles Bandでの活動の傍らで、Columbia BandYoung Tuxedo Orchestraでも活動。1919年から1922年にはBud RousselOscar CelestinZutty Singleton等と共演した他、Golden Leaf Orchestraでも活動していた。

1923年はニューオリンズのCadillac Clubに出演していた他、自身のバンドでフロリダ・ツアーに出ている。1924年にKing Oliverと共演する為にシカゴを訪れた際には、Jelly Roll Mortonの録音にも参加するが、出演していたLincoln Gardensが全焼したことで、ニューオリンズに帰郷することになる。

1920年代後半、ニューオリンズに戻ったLee Collinsは、101 RanchJack Careyのバンドに参加した他、自身のカルテットでも活動する。この時期は他にツアーに出かけたり、ダラスに居を構えた時期もあった。ニューオリンズのClub Lavidaへの出演後、Astoria Gardensで共演したDevid JonesとはJones-Collins Astoria Hot Eightを結成し、録音も残している。自身のラグタイム・バンドを率いて、フロリダ・ツアーにも出かけたこともあった。

1930年にLuis Russell楽団のトランペット奏者のHenry "Red" Allenが休暇の為にニューオリンズに戻ってきた際に、Lee Collinsは代役を務める為にニューヨークに行き、短い間であったがLuis Russell楽団で活動した。翌1931年にはシカゴに移り住み、Dave Peytonのバンドに加入。1932年以降も、Johnny DoddsBaby Doddsの兄弟、Zutty SingletonSherman Cooke等のシカゴで活動するバンドで演奏する他、自身のバンドを結成し、ツアーを行っていたようだ。1930年代後半は、イリノイ州キャルメットにあるDerby Clubに出演していた。

1940年代は自身のトリオを率いてシカゴで演奏を続け、Kid Oryのバンドのツアーにも参加している。1951年11月にMezz Mezzrowのヨーロッパ・ツアーに参加するが、病気の為に脱退し、シカゴに戻る。1953年夏にサンフランシスコでJoe Sullivanと演奏した後、1954年にニューオリンズに帰郷しRecard Alexis等と演奏した。

同年11月に再びMezz Mezzrowのヨーロッパ・ツアーに参加するが、この時のヨーロッパ・ツアーでも体調を崩したLee Collinsはシカゴで過ごすようになる。シカゴで脳卒中を患ったLee Collinsは慢性の肺気腫にかかり、晩年は音楽活動を休止していた。