Buster Bailey
基本情報
生年月日 |
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1902/07/19(Memphis, Tennessee) |
命日 |
1967/04/12(Brooklyn, New York) |
使用楽器 |
Clarinet, Soprano Sax |
経歴
Buster Baileyは、テネシー州のメンフィス出身のクラリネット奏者で、生涯を通して多くの有名楽団で活躍していた。
メンフィスのクレイ・ストリート・スクールに通っていた13歳の頃にクラリネットを始め、Benny Goodmanを教えたことでも知られるクラシック畑のFranz Schoeppに師事したという。正式な音楽教育を受けたことはBuster Baileyの技巧を磨き上げる為の重要な要素の一つであったと思われる。
その2年後の1917年にBuster BaileyはW.C. Handyの楽団に加入し、この楽団で2年程ツアーをした。(当時、テネシー州メンフィス出身のミュージシャンの多くは、W.C. Handyの楽団に参加しており、Buster Baileyも例外ではなかった)このツアーでシカゴに立ち寄った時に、Buster Baileyは楽団を辞め、Erskine Tateの元で演奏するようになる。Erskine Tateの楽団には1919年から1923年にかけて所属しており、主にシカゴで演奏した。(1921年にはニューヨーク公演)
1923年後半になると、Buster BaileyはJohnny Doddsの後任としてKing Oliverの楽団に加入し、ここで1924年10月まで演奏していた。King Oliverの元で共に演奏していたLouis ArmstrongがFletcher Hendersonの楽団に加わる為にシカゴを離れ、ニューヨークに移り住むと、このLouis Armstrongの推薦もあり、Buster BaileyもFletcher Hendersonの楽団に加入することになる。
Louis Armstrongと共にFletcher Hendersonの楽団に加入したことで、Buster Baileyの名は多くのミュージシャンや聴衆の知るところになった。1927年夏にOscar "Bernie" Youngの楽団に参加するも、その後すぐにFletcher Hendersonの元に復帰し、1928年後半までFletcher Hendersonの楽団で演奏していた。
Fletcher Hendersonの元を離れたBuster Baileyは、Noble Sissleの楽団に参加する。1929年5月にNoble Sissleと共に渡欧し、1930年代になるとNoble Sissleの楽団やFletcher Hendersonの楽団、Mills Blue Rhythm Bandなどで演奏。1937年には、Luis Russell、Louis Armstrong、Stuff Smith等と短期間の共演の後、同年5月にJohn Kirby Sextetに加入する。1941年夏に手を負傷していた時期を除き、1944年夏まではJohn Kirby Sextetのレギュラーとして活躍した。1945年になるとニューヨークのSpotlite Clubで自身の小編成のコンボを率いた。ちなみに、1945年と1946年にもJohn Kirby Sextetでの演奏はあった。
その後、1947年から1949年にかけてはWilber de Parisとの共演。1950年代はHenry "Red" Allenとの活動が多かった。1965年7月にLouis Armstrong All Starsに加入すると、1967年に亡くなるまで在籍していた。