Buddy Petit

提供: 初期のジャズ

ジャズ百科事典 > 人名事典

基本情報

Buddy petit.jpg
生年月日
1897(White Castle, Louisiana)
命日
1931/07/04(New Orleans, Louisiana)
使用楽器
Cornet

経歴

ニューオリンズの西100マイルほど離れた小さな町ホワイトキャッスルで、1895年に生まれたこの赤ん坊は、はじめJoseph Crawfordと名付けられた。父親が亡くなった後に、母親は5歳(1900年前後のことである)のかれを連れニューオリンズに移住し、トローンボーン奏者であるJoseph Petitと結婚した。その時、Joseph Crawfordの名字がPetitに変わったことで父親の名前との混同を避けるため、Buddyと呼ばれるようになった。

Buddy Petitが音楽をはじめたのは、おそらく継父の影響であり、ニューオリンズに移り住んだ直後のこと。演奏法はBunk Johnsonに学んだと言われており、後のLee CollinsPunch Millerの証言によるとBuddy PetitのプレイスタイルはBunk Johnsonにそっくりだったという。

20歳の頃に一度Jelly Roll Mortonと一緒にロサンゼルスに行ったが、滞在することなくニューオリンズに戻ってきている。その後、ニューオリンズでダンスバンドやブラスバンドのリーダーとして成功したが、シカゴに行ったジャズメンのように名が知られることはなかった。

Danny Barkerは、「Buddy Petitのレコードを作らなかったのはアメリカの犯した大きな過ちだ」という発言をしているが、Buddy Petitのニューオリンズでの人気は凄く、一年先まで仕事の予約がいっぱいだったと伝えられており、初期に人気を博したコルネット奏者の一人である。当時のニューオリンズのジャズシーンをリードしていたのは確かなようだ。

録音が残っていないのは残念だが、Natty DominiqueのプレイがBuddy Petitに似ているという証言も残っている。この伝説的なコルネット奏者のプレイについては、今となってはこうした証言から類推するしかないのである。