Cootie Williams
基本情報
生年月日 |
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1910/07/24(Mobile, Alabama) |
命日 |
1985/09/15(New York, New York) |
使用楽器 |
Trumpet |
経歴
本名をCharles Melvin Williamsと言う。1930年代にDuke Ellington楽団で活躍したことで名声を得たトランペット奏者だ。
Cootie Williamsは8歳の時に母親を亡くし、叔母に育てられた。学校のバンドでトロンボーンやチューバ、ドラムを演奏していたという。独学でトランペットを学ぶと、地元のアラバマでライブをするようになったという。14歳の夏にはYoung Family Band(Lester YoungとLee Youngがいた)のツアーに参加。その後、フロリダでクラリネット奏者のEagle Eye Shieldsと共演。1926年から1928年にかけては、Alonzo RossのDeLuxe Syncopatorsに参加する等、経験を積んだ。
1928年春にAlonzo Rossと共にニューヨークに移るが、同年3月か4月頃にバンドを脱退する。同年6月に、 James P. Johnsonの録音に起用されるが、これはJabbo Smithの代役だったという。Chick Webbとの仕事や数か月のFletcher Henderson楽団への参加を経て、1929年にDuke Ellingtonの楽団に加入した。
Duke EllingtonがCootie Williamsに期待した役割は、Bubber Mileyの後任であったが、Cootie自身は自分がBubber Mileyの後任として雇われたことに気づいておらず、最初の数週間はミュートを使わずに演奏していた。トロンボーン奏者のTricky Sam Nantonの助けもあり、プランジャー・ミュートの使い方をマスターしたCootie Williamsは前任者を凌駕するような演奏を披露するようになった。
1929年から1940年のDuke Ellingtonの録音のほとんどに参加しており、この10年間の経験がCootie Williamsをトップ・トランぺッターのひとりに育てたと言っても良いだろう。1940年11月にDuke Ellington楽団を退団した後の1年間は、1941年10月までBenny Goodmanの元で演奏していた。(ちなみにCootieはCarnegie Hallのコンサート(1938年1月)でもBenny Goodmanと共演している)
1941年以降は、自身の楽団を率いて、ニューヨークのSavoy Ballroomに出演した他、この楽団で録音も残している。Savoy Ballroom閉店後は、カルテットを結成していたようだが、ジャズの表舞台で目立つことはなかった。1959年初頭には、小編成のバンドを結成しヨーロッパをツアーしたという記録もある。
1962年秋にCootie WilliamsはDuke Ellingtonの楽団に復帰する。1940年11月に退団して以来なので、実に22年ぶりの復帰であった。復帰後はDuke Ellington楽団で活動し続けた。1974年にDuke Ellingtonが亡くなった後は、息子のMercer Ellingtonが率いる楽団に残り、ヨーロッパへのツアーにも出かけている。