Luis Russell

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基本情報

生年月日
1902/08/06(Bocas Del Toro, Republic of Panama)
命日
1963/12/11(New York, New York)
使用楽器
Piano

経歴

Luis Carl Russellはパナマ出身のピアニストで編曲や楽団リーダーとしても知られている。

Luis Russellの父は音楽教師(ピアノとオルガン)。Luis Russellは、少年の頃からギターやヴァイオリン、オルガン、ピアノを学び、1917年には、パナマの映画館で無声映画の伴奏を務めていたという。1919年に宝くじで3000ドルが当たり、この時には母と妹と共にニューオリンズに移住した。以降、様々なクラブで演奏するようになり、Steve Lewisに師事した。

1921年から1922年にかけては、Arnold Du Pas Orchestraに加入し、Cadillac Clubに出演。1923年にはAlbert Nicholasの楽団に参加し、Tom Andersonの店で演奏するようになり、Albert Nicholasの脱退後は、1924年後半までこの楽団を率いた。

1925年にDoc Cookeに誘われてシカゴに渡り、数か月間、Doc Cooke's Dreamland Orchestraで活動する。同年、King Oliver's Dixie Syncopatorsに加入すると、シカゴのPlantation Cafeで定期的に演奏し、Dixie Syncopatorsの録音にも参加した。

1927年にPlantation Cafeが火事で焼失する事件があり、仕事を探す必要があった楽団は、同年5月にニューヨークのSavoy Ballroomで出演した。しかしながら、この出演は短期間に終わり、契約切れで仕事が無くなったDixie Syncopatorsは解散することになる。Luis RussellNest Clubに出演していたGeorge Howeの楽団に加入するが、1927年10月にはリーダーを任されるようになり、1年程の間、Nest Clubで自身の楽団を率いた。

1920年代後半、Luis Russellの楽団は、Nest Clubの他にもSaratoga ClubArcadia BallroomSavoy BallroomConnie's Inn等、ニューヨークの多くのクラブで演奏をした。1929年以降、Luis Russellの楽団はLouis Armstrongの伴奏を務める機会も多かった。1930年代初頭も、引き続きニューヨークで活動を続けた他、大規模なツアーに出たこともあった。

1935年9月頃、Luis Russellの楽団の主要な活動は、Louis Armstrongの伴奏となっており、バンドの名義もLouis Armstrongの名前を冠して呼ばれていた。元々の楽団メンバーの多くが脱退していくが、Luis Russell自身は1943年までLouis Armstrongの下でピアノを弾き続けた。

Louis Armstrongの下を離れた後は、自身のビッグバンドを結成し、ニューヨークを中心にツアーを行っていたが、1948年にフルタイムの音楽活動から引退し、文房具や玩具、お菓子を売る店の店主をしながら、時折、自分のバンドで演奏をしていた。また、音楽教師として、生徒にピアノとオルガンを教える活動もしていた。1959年には、40年振りに故郷のパナマを訪問し、クラッシックピアノの公演を行っている。

1960年代初頭には運転手をして生計を立てていたが、音楽教師の仕事も亡くなる直前まで続けていたという。1963年に癌で亡くなった。