King Oliver's Dixie Syncopators
一言メモ
Creole Jazz Band解散後にKing Oliverが活動した楽団で録音も残している。
主にシカゴで活動した後にニューヨークにも進出した。
活動時期
1925年 ~ 1927年
主要メンバー
- King Oliver (cornet, leader)
- Bob Shoffner (trumpet)
- Kid Ory (trombone)
- Albert Nicholas (clarinet, soprano sax, alto sax)
- Barney Bigard (clarinet, soprano sax, tenor sax)
- Omer Simeon (soprano sax, alto sax, clarinet)
- Stump Evans (soprano sax, alto sax)
- Darnell Howard (clarinet,alto sax)
- Luis Russell (piano)
- Bud Scott (banjo)
- Paul Barbarin (drums)
変遷
King Oliver's Creole Jazz Bandの解散後、King OliverはPlantation Cafeで演奏していたDave PeytonのSymphonic Syncopatorsに身を寄せる。Symphonic Syncopatorsは間もなくしてKing Oliver's Dixie Syncopatorsと名前を変え、King Oliverがリーダーを務めるようになった。
King Oliverのキャリアにおいては、Creole Jazz Bandと比較されてしまう為、目立った評価は得ていないが、それでも1920年代のシカゴにおける偉大なバンドのひとつであった。1925年から1927年にかけて、シカゴのPlantation Cafeで演奏し、VocalionとBrunswickレーベルに録音を残している。
不運なことにPlantation Cafeが火事で焼失する事件があり、Dixie Syncopatorsは新たな仕事を求めて、ニューヨークに移動する。ニューヨークのSavoy Ballroomの契約を得て、ここで演奏していた。
King Oliverのニューヨークでの評判は上々であり、Cotton Clubから長期契約のオファーが舞い込んだ。ちょうどCotton Clubに出演していたAndy Preerの楽団の契約が切れ、後釜を探していた時期であった。しかしながら、King Oliverは提示された出演料に満足せず、この申し出を断ってしまった。(結果としてCotton Clubの契約はDuke Ellingtonが受けることになる)
結果論ではあるが、これがDixie Syncopatorsにとって、大きな痛手となった。Savoy Ballroomの契約が切れたタイミングでDixie Syncopatorsの仕事はなくなり、バンドは解散することとなった。残されたメンバーをLuis Russellがまとめ上げ、Nest Clubに出演するようになるが、それは別の話である。
録音
- King Oliver's Jazz Band (1926/03/11)
- King Oliver And His Dixie Syncopators (1926/04/21)
- King Oliver And His Dixie Syncopators (1926/04/23)
- King Oliver And His Dixie Syncopators (1926/05/29)
- King Oliver And His Dixie Syncopators (1926/07/23)
- King Oliver And His Dixie Syncopators (1926/09/17)
- King Oliver And His Dixie Syncopators (1927/04/22)
- King Oliver And His Dixie Syncopators (1927/04/27)
- King Oliver And His Dixie Syncopators (1927/11/18)