Armand J. Piron
基本情報
生年月日 |
---|
1888/08/16(New Orleans, Louisiana) |
命日 |
1943/02/17(New Orleans, Louisiana) |
使用楽器 |
Violin |
経歴
ニューオリンズ出身のヴァイオリン奏者だが、作曲もする。有名なところでは「I Wish I Could Shimmy Like My Sister Kate」や「The Purple Rose Of The Cairo」がArmand J. Pironの手によるものである。
楽団のリーダーを務めていた父のもとで、幼い頃から音楽を学んでいたそうだ。プロとしての初ステージは1904年であったという。その4年後の 1908年には自身のバンドを率いるようになり、また1912年から1914年にかけては、Clarence Williamsも参加していたOlympia Orchestraをリードした。
同僚であったClarence Williamsとは非常に仲がよく、二人で出版社をつくったりもしている。二人の経営するPiron And Williams Publishing Companyは、1915年に「I Wish I Could Shimmy Like My Sister Kate」を世に送り出した。
その後、Pironは1916年にはPapa Celestinと、1917年にはW.C. Handyと活動している。1918年から1928年にかけては再び自身の楽団を結成し、いくつかの有名なバーやレストランで演奏をしていた。また 1923年から1924年にかけて、ニューヨークの有名なCotton ClubやRoseland Ballroomに、この楽団が出演していたのも、忘れてはならない。だが、このニューヨーク訪問は、演奏旅行というにはあまりに短いものであったようだ。
1930年代に入ると小編成のバンドを率いて、リバーボートで演奏するようになり、それは1940年代の初めまで続いた。また、ナイトクラブに出演したこともあったそうだ。1943年に故郷ニューオリンズの病院で亡くなった。