Ben Pollack
基本情報
生年月日 |
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1903/06/22(Chicago, Illinois) |
命日 |
1971/06/07(Palm Springs, California) |
使用楽器 |
Drums |
経歴
Ben Pollackは、1920年代後半に成功した白人バンドのリーダーと知られており、彼の楽団には、Glenn Miller、Benny Goodman、Jack Teagarden、Jimmy McPartlandといった将来の白人ジャズのスター達が多く在団していた。
Ben Pollackは、故郷のシカゴで学校に通っていた頃から、バンドでドラムを演奏していた。Husk O'Hare's Agencyが主催するバンドでも、時折、演奏の仕事をしていたが、プロとしての本格的な活動は、1921年にシカゴのNavy Pierに出演していたDick Schoenbergの下での演奏で、これがBen Pollackにとっての最初の定期的な音楽の仕事となった。
ウィスコンシン州フォックス・レイクスでピアニストのIzzy Wagnerと仕事をした後、1921年にシカゴのFriar's Society Orchestraに加入する。このバンドがNew Orleans Rhythm Kingsと名前を変えた後も在団し、1923年には録音にも参加している。
その後、ロサンゼルスに渡ると、Larry Shieldsを頼るが、Larry Shieldsの下での演奏は1週間という短いものになった。Venice Ballroomへの出演も含む11か月間をHarry Bastinの下で過ごした。
その後、シカゴに戻った時には、家族の毛皮業を継ぐつもりでいたが、その考えは断念し、ニューヨークへ渡る。ニューヨークに辿りついたBen Pollackを待っていたのは、ロサンゼルスのHarry Bastinのバンドを引き継がないかというオファーであった。この申し出を受けたBen Pollackは、1924年10月からの1年間をアメリカ西海岸で過ごした。この頃、Ben Pollackが率いた楽団は出演しているクラブの名前を取り、Venice Ballroom Orchestraと名付けられた。
1926年にはCaliforniansという楽団を結成し、オハイオ州シンシナティで演奏した他、シカゴで録音も残している。参加しているメンバーの中にはGlenn MillerやBenny Goodmanもいた。Ben Pollackを中心とする白人ミュージシャンによるグループは1927年には定期的な仕事も得ていたが、1927年後半にニューヨークに移る。ニューヨークに移った後の1928年には、Ben Pollackの下には、Jack TeagardenやJimmy McPartland、Bud Freemanも加わり、白人ジャズのスターのグループという様相になっている。
なお、Bud Freemanは1928年夏、Glenn Millerは1928年後半、Benny GoodmanとJimmy McPartlandは1929年秋に、Ben Pollackの下を離れている。
1930年代初頭には、自身のバンドを率いてシカゴに移ると、Silver Slipper等で定期的な仕事を得ていた。このバンドは1934年12月にカリフォルニアへのツアー中に解散したが、このバンドの元メンバーが中心となって、Bob Crosbyの楽団が出来上がったという。1935年にはニューオリンズ、1936年にはシカゴとロサンゼルスでバンドを率いており、1942年頃まで楽団のリーダーとして仕事をしていた。
1943年8月にバンドのブッキングを生業とするようになり、更には、レコード会社の経営で生計を立てるようになった。こうした変化があったことで、Ben Pollackが公の場で演奏する機会は極端に減るが、1949年にディキシーランドジャズのイベントに出演した際に好評を博すと、その後は自身が率いるシクステットで定期的な演奏をするようになった。主な活動の場はアメリカ西海岸で、ロサンゼルスで自分が経営するクラブを開いていたという。
1956年に公開された映画「The Benny Goodman Story」には、本人役で出演。1960年代は、時折、イベント等にゲスト出演する機会もあったが、主にカリフォルニア州パームスプリングスでレストラン経営をしていた。経済的損失を苦にしていたという話があり、これが原因と推測されるが、1971年にパームスプリングスの自宅で首を吊って自殺した。