McKinney's Cotton Pickers

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一言メモ

Don Redmanが音楽監督を務めた1930年頃の人気バンド。
1928年から1931年にかけての録音には著名なミュージシャンが(ゲスト参加も含め)多く参加している。

活動時期

1926年 ~ 1934年

主要メンバー

変遷

元々はサーカスのドラマーと働いていたWilliam McKinneyは1920年代初頭からオハイオ州でSynco Septetのリーダーを務めていたが、1923年にドラムを辞めて、ビジネス・マネージャーとしての役割を担うようになった。

中西部をツアーしていた折に、ミシガン州デトロイトでJean Goldketteと契約し、彼が所有するGraystone Ballroomのハウスバンドとなり、McKinney's Cotton Pickersとして活動するようになった。これが1926年のことである。

1927年6月に、Fletcher Hendersonの楽団で編曲とサックスを担当していたDon Redmanを音楽監督として迎え、これがMcKinney's Cotton Pickersの成功のきっかけになった。トランペット奏者のJohn Nesbittがの編曲やリハーサルを手伝い、助監督のような位置づけだったという。

McKinney's Cotton Pickers

1928年から1931年にMcKinney's Cotton PickersはVictorレーベルの為に定期的な録音を行っており、バンドのレギュラーメンバーの他に豪華なゲスト(Fats WallerColeman HawkinsSidney DeParisJoe Smith等)を加えた一連のセッションは人気を集めた。(McKinney's Cotton Pickersが"Chocolate Dandies"名義で録音した1928年のOkehレーベルのセッションにはLonnie Johnsonが参加している。バンド名を変えているのはレーベルとの契約の都合だろう)

1931年夏にDon Redmanは自身の楽団を率いる為にMcKinney's Cotton Pickersを脱退し、音楽監督の後任は1930年に加入したBenny Carterが務めた。Benny Carterの元で1931年9月に2曲が吹き込まれたが、その後は録音の機会には恵まれなかった。

1932年にBenny Carterが脱退すると、恐慌の影響もあり、McKinney's Cotton Pickersはお金を稼ぐことができなくなり、1934年には解散することになる。なお、William McKinneyが1940年代初頭に再びバンドを結成するが、この新しい楽団が注目されることは無かったという。

録音