Rex Stewart

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基本情報

生年月日
1907/02/22(Philadelphia, Pennsylvania)
命日
1967/09/07(Los Angeles, California)
使用楽器
Cornet

経歴

Rex Stewartは、Duke Ellington楽団に在団していた時期に用いたハーフ・ヴァルブ奏法がきっかけとなり、その名前が広く知られるようになったが、それ以前の1920年代頃には充分に印象的なコルネット奏者であった。

Rex Stewartは、ヴァイオリン奏者の父とピアニストの母という両親のもとに生まれ、ワシントン近郊で育った。最初はピアノやヴァイオリン、アルトホルンを演奏していたが、その後、コルネットに転向した。

14歳の頃にはプロとして活動を始め、ポトマック川のリバーボートで演奏した他、Ollie Blackwellが率いたJazz Clownsのツアーに参加したという。Jazz Clowns解散後にはMusical Spillersに加入し、このバンドでニューヨークを訪問したのが1921年10月のことだ。

Musical Spillersには1年以上在籍し、その間はコルネットだけでなく、トロンボーンやサックス、時には木琴も演奏していたと言われる。Rex Stewartは1923年頃にはニューヨークに定住することを決めて、Musical Spillers退団後も自由契約のミュージシャンとして活動した。1920年代半ば頃に共演したミュージシャンには、Elmer SnowdenHelen Gross,Rosa HendersonLena HenryMonette MooreThomas Morrisなどがおり、録音も残している。

1926年にRex StewartFletcher Hendersonの楽団に参加する。まだ19歳という若さであったRex Stewartにとって、Louis Armstrongの後任という立場のプレッシャーもあったのか、数か月という比較的短い期間で楽団を去るが、その後、1928年に再加入した後は、1933年頃までFletcher Hendersonの下で活動していた。なお、1929年から1932年にかけては、McKinney's Cotton Pickersにも参加している。

Fletcher Hendersonの楽団を退団した理由は、自身の楽団を結成する為だったとのことだが、実際、1933年6月頃から1934年秋にかけては、自身のビッグバンドでニューヨークのEmpire Ballroomに出演していた。自身のバンドの解散後はLuis Russellの楽団に加入し、ここでは録音も残している。

1934年12月にRex StewartDuke Ellingtonの楽団に加入することになるのだが、なんとも強引なやり取りがあったようだ。

Duke Ellingtonのマネージャーを務めていたIrving MillsEmpire Ballroomに出演していたRex Stewartの演奏を気に入り、小編成のコンボでの録音の仕事を持ち掛けたという。Rex Stewartは快諾したが、一方で、この録音の話はなかなか実現しなかった。1934年12月になって、ようやくこの録音が実現した時には、既にRex Stewartのバンドは解散しており、Rex Stewart自身はLuis Russell楽団の一員となっていた。

このレコーディングのギャラを受け取る為に事務所を訪れた際に、偶然にもDuke Ellingtonと対面することになったのだと言う。Duke EllingtonIrving Millsの熱烈な勧誘を受けたものの、当時、週給125ドルのギャラを稼いでいたRex Stewartにとって、Duke Ellingtonの提示する週給75ドルのギャラは一考の価値もないものだった。二人の申し出を断って、アパートに帰り着いたRex Stewartは、Duke Ellington楽団のボーイが「レックスに制服の試着に来るように伝えて欲しい」と自分の妻に向かって叫んでいる様子を目撃した。

更に、この時、Rex Stewartの妻がLuis Russell楽団のドラム奏者と立ち話をしており、当然、このボーイの叫び声は件のドラム奏者にも聞こえていた。かくして、バンド鞍替えの話がLuis Russellまで伝わり、その晩のうちにRex Stewartはバンドを解雇されたという。そして、行き場のなくなったRex StewartDuke Ellington楽団に加入することを決めたというのが事の顛末であった。(Rex Stewartの証言では名前は明示されていないが、時期から推測するとPaul Barbarinだと思われる)

結局、この出来事がきっかけでRex StewartDuke Ellingtonの下で仕事をすることになり、その後の11年間のキャリアが世の中にRex Stewartの名前を知らしめることになった。

1945年12月にDuke Ellington楽団を退団すると、1946年初頭には自身のバンドを結成し、ニューヨークで活動していたが、1947年10月には渡欧。1947年から1949年にかけて、スウェーデン、フランス、ドイツ、イギリス等を訪れ、各地で録音も残している。(Django Reinhardtとの共演が実現したのもこの時期のことである)1949年夏には、オーストラリアにも渡り、そこで録音も残している。

1950年春にアメリカに帰国すると、ニューヨークでの短い活動を経て、農場経営の為にニュージャージ州に移住する。1950年代初頭はボストンで自身のバンドを率いていた他、ディスクジョッキーの仕事もしていた。1958年2月から1959年7月までEddie Condonが経営するクラブに出演。その後、カリフォルニアに移住すると、ジャズ史に関する講演や執筆活動を始めた。(「Down Beat」「Playboy」「Melody Maker」「Jazz Journal」等の雑誌に記事が掲載されている)

1960年代の主な活動は、音楽に関する記事の執筆であったが、ジャズ・フェスやヨーロッパ・ツアー等、時には演奏する姿をファンに見せることもあった。脳内出血で突然死した後、彼の記事を集めた「Jazz Masters Of The 30s」が出版された。