Lonnie Johnson
基本情報
生年月日 |
---|
1899/02/08(New Orleans, Louisiana) |
命日 |
1970/06/16(Toronto, Ontario) |
使用楽器 |
Guitar, Vocals |
経歴
Lonnie Johnsonは、ブルーズとジャズというふたつのジャンルにおける先駆者的なギタリストであった。ルイジアナ州ニューオーリンズに生まれ、子どもの頃からヴァイオリンやピアノ、ギターを習っていた他、マンドリンやバンジョーも習得していた。
ニューオリンズのカフェや劇場でヴァイオリンやギターを演奏したのがプロの音楽家としての活動の始まりであった。父が率いた家族バンドでは、兄弟でピアニストのJames "Steady Roll" Johnsonと共に演奏し、更にはニューオリンズのストーリーヴィルではPunch Millerと共演する機会もあったという。
1917年には渡欧し、主にロンドンで活動。レヴューでの演奏や劇場でのツアーを行なった。1921年には高名なWill Marion Cookのグループにも参加し、この時にはバンジョーも演奏したという。
ヨーロッパから帰郷したLonnie Johnsonを待っていたのは、1918年から1919年にかけて流行したインフルエンザによって、兄弟のJames "Steady Roll" Johnsonを除く家族の全員が亡くなっていたという悲劇であった。Lonnie Johnsonは残された兄弟と共にセントルイスに移ると、Charlie Creath、Fate Marable、Nat Robinsonといったミュージシャンと共演する。2年程、鉄工所で働いたこともあったが、演奏活動は続けていた。
1925年頃、Okehレーベルが主催するタレント・コンテストに参加し、これに優勝すると、OKehレーベルとの間でのレコーディング契約を結ぶ。1920年代には、Eddie LangやDuke Ellington、更にはLouis Armstrongが率いるHot Fiveの録音にも参加し、否が応でも注目されるようになった。(McKinney's Cotton Pickersが別名義のChocolate Dandiesとして吹き込んだ録音にも参加)OKehレーベルとの契約は1932年まで続いた。
1932年にLonnie Johnsonはクリーブランドに移り住み、地元のラジオ番組にも数多く出演した他、Putney Dandridge Orchestraにも参加した。また、ゲールズバーグのタイヤ工場やクリーブランドの製鉄所で日雇い労働をして過ごしたこともあったという。
1937年になるとLonnie Johnsonはシカゴに移り、Johnny Doddsと共演した他、地元のライブハウスのハウス・ミュージシャンとして活躍した。1940年には自身のカルテットを率いて演奏するようになり、1940年代半ばにはアンプ付きギターで伴奏しながら歌うリズム・アンド・ブルースの歌手としても人気を集めた。
1952年6月にロンドンを訪れてツアーで演奏した。帰国後はフィラデルフィアに住み、1960年代初頭まではホテルのシェフとして働いた。1960年にはElmer Snowdenと録音。1963年には、再びDuke Ellingtonと共演する機会もあった。
1960年代半ばからは、カナダのトロントで定期的に活動し、ツアーも行っていた。1969年3月にトロントの歩道を歩いていたLonnie Johnsonは自動車に轢かれる事故に遭遇し、これによって腰の骨を折り、腎臓を傷める重傷を負った。この怪我が完治する前に脳卒中の症状を患うようにもなった。1970年には杖をつきながらではあったが、ステージへの復帰も果たす。同年6月に没する。