James P. Johnson
基本情報
生年月日 |
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1894/02/01(New Brunswick, New Jersey) |
命日 |
1955/11/17(New York, New York) |
使用楽器 |
Piano |
経歴
James Price Johnsonは、ニューヨークで活躍したピアニストで、Duke EllingtonやFats Waller等の同時代のピアニストに影響を与えた。彼の奏法はストライドと呼ばれ、一般的には、このストライドピアノの創始者であると考えられている。
James P. Johnsonは、少年時代に母親からピアノを教わり、最初はクラシックとラグタイムを弾いていたという。家族と共にニューヨークに移り住んだ後、10代前半の頃にはレントパーティで演奏を始め、1912年夏にはプロとしての仕事を始めていたようだ。
1910年代の後半には、ニューヨークやアトランティックシティの様々なクラブでソロ・ピアノを演奏し、ツアーにも出ている。1919年にはオハイオ州トレドでの公演に参加した。
1921年にはOKehレーベルで初録音を果たし、その後も膨大なレコーディングに参加している。1920年代の主な活動としては、ニューヨークで公開されたレビューの音楽監督を務め、自身の楽団を率いた他、Bessie SmithやEthel Watersのようなブルース歌手の伴奏で多くの録音を残している。1923年に作曲した「Runnin' Wild」のレビューは有名であるし、1928年7月にはCarnegie Hallの公園を果たしている。1929年にはBessie Smithの映画「St. Louis Blues」で楽団を指揮した。
1930年代になると、James P. Johnsonは作曲に注力するようになり、「Symphony Harlem(1932年)」や「De Organizer」等の舞台作品の楽曲を書いている。演奏の面では自身の楽団を率いた他、時折、他のバンドにも参加している。
1940年にニューヨークのCafe Societyで自身のバンドを率いていたが、同年夏に病気になり、音楽活動を中断。その後、ミュージカルの音楽監督として復帰した。
1943年初頭にはボストンでWild Bill Davisonと共演。1944年にはニューヨークで自身のバンドを率いると共に、ソロでも活動していた。1940年代半ばになるとEddie Condonが経営するクラブで演奏していたが、1946年10月に脳卒中で倒れる。1947年春に活動再開。
その後、1949年にカリフォルニアでレビュー「Sugar Hill」の制作に参加し、更にはAlbert Nicholasのカルテットでも演奏していた。ニューヨークに戻っていた1951年に重度の脳卒中を患い、3年間の自宅療養を経て、最期は入院生活を余儀なくされ、1955年に没した。