Ed Garland
基本情報
生年月日 |
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1885?/01/09(New Orleans, Louisiana) |
命日 |
1980/01/22(Los Angeles, California) |
使用楽器 |
String Bass |
経歴
ジャズ草創期だけでなく、ニューオリンズ・リバイバルにおいても重要な位置を占めるベース奏者だ。Kid Oryのバンドのベース奏者として知られている。Kid Oryとは20年代に録音を残しているだけでなく、リバイバル期にもともに活動していた。
幼い頃からブラスバンドに加わり演奏をしていたそうだ。Frank DusonのEagle Bandにベース・ドラム奏者として加わったのが14歳の頃のこと。しかし、その後すぐにベースに転向した。Buddy Boldenと演奏をしていたのもちょうどこの頃の話だそうだ。14歳と言う若さで天下のジャズ王のバンドに入っていたわけで、その事からも彼の実力がわかる。1908年にはFreddie Keppard]のバンドで、1910年にはKid OryのBrownskin Babesで演奏。1914年にはシカゴに移って、DeLuxe Cafeで演奏。その後、Manuel Perezなどとも演奏をした。1916年にKing Oliverのバンドに加入する。このバンドでカリフォルニアに行った際に、Kid Oryと再会する。このことがきっかけでEd Garlandは、再びKid Oryと行動をともにするようになった。
記念すべき黒人初のジャズ録音は1922年に行われた。曲は「Ory's Creole Trombone」と「Society Blues」であった。この記念すべき録音はKid Oryのバンドによって行われたわけだが、当然Ed Garlandも参加している。1917年にOriginal Dixieland Jass Bandがジャズ史上初の録音を成してから、白人の録音しか行われなかったわけで、この音源は初期の黒人ジャズを知る上で非常に貴重な資料となっている。
1929年から1933年にかけては自身が率いるバンド、One-Eleven Club Bandで演奏を続けた。また、映画館での演奏などもしていたようだ。
1940年代に入り、ニューオリンズ・リバイバル(ニューオリンズ再認識)の動きが起こり、Kid Oryが復帰するとこのバンドに加わった。1944年から1955年にかけては、このKid Oryのバンドで演奏をした。1955年から1956年にかけてはEarl Hinesと演奏、1957年にはTurk Murphyのバンドで演奏したほかKid Oryとともにフランスに渡っている。録音だけではなく、ドキュメンタリー映画に出演したり、ジャズフェスで演奏をするといった幅広い活動をしていたようだ。1969年にはディズニーランドでも演奏をしていた。
生前は「the oldest living sideman」と称された。つまり、バンドを影で支えるというのが、彼のバンド内での役割であったのだろう。目立ちはしなかったが、名手であったことは間違いない。