George Mitchell

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基本情報

生年月日
1899/03/08(Louisville, Kentucky)
命日
1931/08/06(Chicago, Illinois)
使用楽器
Cornet,Trumpet

経歴

George Mitchellは、ジャズ草創期のコルネット奏者で、1920年代にJelly Roll Mortonが率いるRed Hot Peppersに参加した事で知られており、他にはJohnny DoddsLil Armstrongとの録音にも参加している。「Little Mitch」の綽名が示すように背は高くなかったようだ。

1899年にケンタッキー州ルイビルで生まれたGeorge Mitchellは、12歳の時にトランペットを始め、近所に住んでいたFields氏の指導を受けた。St.Augustine Schoolの学校バンドに参加した後、Louisville Musical Club Brass Bandのメンバーとなると、1916年か1917年頃には短いツアーにも出ていたと言われる。

その後、故郷を離れたGeorge Mitchellは、ミシシッピのRabbit's Foot Minstrel Showに参加し、アメリカ南部をツアーしながらミンストレル・ショーで1年近く活動を続けた。ミンストレル・ショーの参加していたこの期間にケンタッキー州出身のトランペット奏者であるBobby Williamsから奏法のアドバイスを得ていたと伝えられている。George Mitchellは故郷に戻り、トロンボーン奏者のJohn Emoryのバンドで演奏。その後、Bobby Williamsの勧めもあり、1919年末にはシカゴに移住する。

シカゴでは、ヴァイオリン奏者のArthur Simsの下でClub Alvadereに出演。1920年後半にはDeluxe Cafeに出演していたTony JacksonHorace DiemerTubby HallIda Mae Marples等と共演する。

1921年には、Clarence Millerのバンドに参加し、ツアーの為、シカゴを離れる。このツアーは1922年にオンタリオ州ハミルトンで解散。その後、George Mitchellは、デトロイトや故郷のルイビルで演奏した。

1923年にシカゴに戻ったGeorge Mitchellは、Sunset Cafeに出演していたCarroll Dickersonの楽団に加わる。1924年夏には、Doc Cookeのバンドに参加。これと並行してParadise Gardensに出演していたJimmie Nooneのバンドにも加入し、この頃、トランペットからコルネットに転向する。1925年夏にはDoc Cookeの下を離れて、Lil Hardin Armstrongの楽団に参加し、1926年春まではDreamland Cafeで演奏していた。

1926年は録音の機会にも恵まれるようになった年であった。この年の3月にLuis Russellのリーダー録音に参加したのを初めに、同年7月にはLil Hardin Armstrongが取り仕切るNew Orleans Wanderers名義(New Orleans Bootblacksも含む)のセッションにも参加。その後、VictorレーベルでJelly Roll Mortonを中心とした企画が持ち上がると、この録音メンバーに選ばれ、Red Hot Peppersのメンバーとして、一連の録音に参加することになる。

1926年夏頃は、サックス奏者のVernon Rouletteと共に活動しており、シカゴの様々な場所でセッションしていた。1926年末にはDoc Cookeのバンドに再加入し、こちらでは録音も残している。1927年春からはDave Peytonのバンドにも加入。1927年から1929年にかけては、Johnny Doddsのリーダー名義の録音や、Jimmie Nooneが率いるApex Club Orchestraの録音にも参加している。

1929年夏から1931年春にかけては、Earl Hinesの楽団で活動し、録音も残している。

大恐慌の影響もあったと思われるが、その後、George Mitchellはフルタイムの音楽活動を辞め、銀行のメッセンジャーとして日雇いの仕事をするようになる。1934年にFreddie Williamsが率いるGold Coast Orchestraと共演したのが、George Mitchellの公の場での最後の演奏であるとする論説もあるが、1930年代を通して、イベント等で演奏をすることもあったようだ。

1960年代初頭には、日雇いの仕事からも引退した。