Noble Sissle
基本情報
生年月日 |
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1889/07/10(Indianapolis, Indiana) |
命日 |
1975/12/17(Tampa, Florida) |
使用楽器 |
Bandleader , Vocals |
経歴
Noble Sissleが有名になったのは、彼自身の歌手としてのパフォーマンスというよりも、重要なジャズミュージシャンをサイドメンとして雇ったバンドリーダーとしてであろう。
父親のGeorge A. Sissleは、Noble Sissleが誕生した頃は牧師であったそうで、その影響もあったのか、Noble Sissleは少年時代は教会の聖歌隊、青年時代は高校のグリークラブで歌っていたと伝わっている。
1914年頃に初めて自身のバンドを結成したのは故郷のインディアナポリスであったが、翌年にはボルティモアに移り、ここで相棒とも言うべきピアニストのEubie Blakeと出会うことになる。1915年から1916年にかけては、ニューヨークでJames Reese Europe's Society Orchestraでギターを弾き、歌を歌った。Noble Sissleは、友人のEubie Blakeを雇い入れるように、リーダーのJames Reese Europeを説得した。
その後もNoble SissleはEuropeと共に活動し、Europeがニューヨーク州兵の第15歩兵連隊を組織する手伝いをする。この第15歩兵連隊(のちのEorope's 365th Division Band)は、有色人種から成る軍楽隊で、フランスに従軍した際に他の軍楽隊とは違いシンコペーションのあるジャズのような音楽を演奏したそうだ。フランスにジャズを広めたことでジャズ史においては重要な位置づけにあるバンドと言えよう。
第一次世界大戦終了後もNoble Sissleは、Europeの楽団に在籍し、ツアー(1918年~1919年)にも参加していたが、1919年にリーダーのEuropeが楽団員に殺害されるという事件があり、この時に楽団を離れた。
その後、Noble Sissleは友人Eubie BlakeとThe Dixie Duoというヴォードヴィルのデュオを結成し、「Shuffle Along(1921年)」や「Chocolate Dandies(1924年)」をはじめとする多くのショーをプロデュースした。二人は1920年代の大部分を共に過ごし、1926年にはロンドンでも演奏を行った。
1927年にNoble SissleとEubie Blakeはチームを解散することになり、Noble SissleはSizzling Syncopatorsを組織し、パリで演奏する。1929年から1931年、1934年、1936年から1938年の3回の渡欧で演奏やレコーディング等を行なった。この間のNoble SissleのサイドメンにはSidney BechetやTommy Ladnier、Buster Baileyがいた。
1938年から1950年にかけては、ニューヨークのBilly Rose's Diamond Horseshoeの商業バンドのリーダーを務め、Eubie Blakeの第二次世界大戦中の慰問ツアーにも参加する等の音楽活動を続けた。1950年頃に音楽活動から引退すると、晩年は自身の曲の版権管理をして過ごした。