Big Eye Louis Nelson
基本情報
生年月日 |
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1885/01/28(New Orleans, Louisiana) |
命日 |
1949/08/20(New Orleans, Louisiana) |
使用楽器 |
Clarinet |
経歴
Lorenzo Tio Snr.(1866-1920)と"Papa" Luis Tio(1963-1927)のもとで学んだ初期の名クラリネット奏者である。1900年頃には、Buddy Bolden's Bandで演奏していたという話もある。このころはベースやギター、時にはヴァイオリンも演奏していたが、1904年ごろからクラリネットだけに集中するようになった。
その生涯のほとんどを故郷のニューオリンズで過ごし、シカゴで演奏していた1916年から1918年にかけての約二年間をのぞいては、ほとんどニューオリンズを離れることはなかったようだ。第一次世界大戦以前に"Big Eye"が参加していた楽団には、Golden Rule Orchestra、Imperial Orchestra(1907年)、そしてOriginal Superior Orchestra(1908年から1914年)などがある。King OliverやJelly Roll Mortonなどとも共演の機会があったはずだ。
当時のニューオリンズでKing Oliverと二代目ジャズ王の座を争っていたというのがFreddie Keppardであるが、彼に誘われてOriginal Creole Orchestraに加わると、1916年にはこの楽団とともにシカゴに演奏ツアーをしている。
このような華々しい活躍をしてきたにも関わらず、その後の"Big Eye"のキャリアは、音楽的には不毛なもので、その後約25年間の空白期間がある。
1940年にKid Renaのレコーディングに参加するが、再び消息不明になる。ジャズ研究家のBill RussellがBunk Johnsonのバンドのクラリネット奏者候補として探し回ったが見つからず、Bunkの推薦でGeorge Lewisが連れてこられたというのは有名な話だ。1944年にベルギー人ジャズ批評家のRobert Goffinによって、ホテルのドアマンをしているところを発見され、2回ほどの録音を行なった。また、死の直前の1949年には、彼自身の名義のアルバムも録音された。
特筆しておくべきは、ジャズ草創期におけるクラリネット奏者の多くに影響を与えたことであろう。まだ自身のスタイルを確立していなかったSidney Bechetを教えた他、そのスタイルはJohnny DoddsやJimmie Nooneにも影響を与えたと言われる。