Alberta Hunter
基本情報
生年月日 |
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1895/04/01(Shelby County, Tennessee) |
命日 |
1984/10/17(Roosevelt Island, New York) |
使用楽器 |
Vocals |
経歴
Alberta Hunterは1920年代に最も人気のあった黒人女性歌手の一人である。("Josephine Beatty"名義での録音やMay Alix本人の許可の下で"May Alix"名義での録音もある。その他にもいくつかの変名がある)
幼い頃に父親が家を出て行き、母親は家族を養うために売春宿で使用人として働いていたが、1906年に再婚する。Alberta Hunterは、この新しい家族に不満を持ち、故郷のテネシー州を11歳の時に逃げ出して、シカゴへと旅立ったという。
シカゴのDago Frank's Clubに歌手として1年半ほど出演した後、3年間はHugh Hoskins'で仕事をし、その後、Panama ClubやDreamland Cafeにも出演するようになった。1920年頃にはKing Oliverの楽団で歌っていたという話があり、この楽団にいたLil Hardinとも交流を深めた。
シカゴで人気を得て、その名が知られるところになったAlberta Hunterは、1921年にニューヨークに移り住む。ニューヨークでは、1920年代を通して、定期的にレコーディングを行った他、クラブへの定期的な出演を行っていた。
この時期のレコーディングでAlberta Hunterの伴奏を務めた中には、Fletcher HendersonやDon Redman、Fats Waller、Lovie Austinと有名なミュージシャンが多く、1924年に参加したRed Onion Jazz Babiesのセッションは、Louis Armstrong、Sidney Bechet、Charlie Irvis、Lil Hardinによる伴奏という特に豪華なメンバーであった。なお、1924年にはDuke Ellingtonのピアノを伴奏に歌った録音も存在する。
1930年代前半はヨーロッパで活動しており、主にロンドンを拠点としていた。1935年にはニューヨークに一時帰国するが、再びパリとロンドンで活動。1936年にはニューヨークのConnie's Innに出演。1937年はヨーロッパとアメリカで活動。1930年代はアメリカとヨーロッパを行き来する状況であった。また、第二次世界大戦中は太平洋とヨーロッパを含む大規模場ツアーを行った。
1950年代にも、イギリスへの渡航、カナダツアー、シカゴやブロードウェイでの公演など、活動を続けていたが、1956年に音楽の仕事を辞め、看護師として働き始める。
1961年のこと、Alberta Hunterは、まだゴールドウォーター記念病院で働いていたが、2回の録音セッションへの参加を依頼され、Lovie Austinと共に録音を残している。1971年には、スミソニアン博物館の為のインタビューを受ける。
1977年にはフルタイムでの音楽活動に復帰し、テレビ番組への出演や映画のサウンドトラック等への協力も行っていた。