The Washingtonians
一言メモ
Duke Ellingtonの楽団の前身となったことで有名。
バンジョー奏者のElmer Snowdenをリーダーとしていたが、金銭トラブルがあり、Duke Ellingtonがリーダーを引き継いだ。
新しいバンジョー奏者として、Fred Guyを加え、同名義でレコーディングもしている。
活動時期
1921年 ~ 1924年
主要メンバー
- Elmer Snowden (banjo , leader)
- Duke Ellington (piano)
- Bubber Miley (cornet)
- Charlie Irvis (trombone)
- Otto Hardwick (clarinet, alto sax)
- Fred Guy (banjo)
- Sonny Greer (drums)
- Arthur Whetsol (cornet)
変遷
Duke Ellingtonがリーダーを務めたThe Duke's SerenadersのメンバーであったOtto HardwickやArthur Whetsolに加え、ニューヨークから来ていたSonny Greerを誘い、1919年頃にDuke Ellingtonが作ったワシントンのスモール・グループがThe Washingtoniansの母体となったと言われる。
1921年にボルティモアのElmer Snowdenが参加した頃から、The Washingtoniansと名乗るようになり、リーダーもElmer Snowdenが務めるようになった。
ワシントンでの順調な音楽活動に飽きたのか、刺激を求めるかのようにDuke Ellington、Sonny Greer、Otto Hardwick、Arthur Whetsolの4人がニューヨークに遠征したのが1922年のこと。なお、この時のニューヨークでの演奏は不評に終わり、数か月で出戻りすることとなった。
1923年4月。ニューヨークで活動していたピアニストのFats Wallerがワシントンを訪れ、The Washingtoniansのメンバーをニューヨークに誘う。仕事の口を利いてくれるというFats Wallerの約束に意気揚々とニューヨークを再訪したThe Washingtoniansを待っていたのは、約束されていた仕事が何故かCount Basieに先を越されているという途方に暮れるような事態であった。しかしながら、Elmer Snowden、Duke Ellington、Sonny Greer、Otto Hardwick、Arthur Whetsolの5人は、ワシントン時代の友人を頼るなど演奏の仕事を探し、ニューヨークに留まった。
1923年9月。Duke Ellingtonが借りていた部屋の家主の紹介でHollywood Cafeで演奏の仕事を得ると、ここでの演奏が評判を呼び、この仕事は1927年頃まで続いた。(Hollywood Cafeは、1924年4月に火災を起こし、1925年3月に新装開店した時にはKentuckey Clubと名を変えることになる)
なお、1923年7月と10月にSnowden's Novelty Orchestraの名義での録音の機会があったが、この3曲は未発表。
1924年になるとトロンボーン奏者のCharlie Irvisが加入。これと入れ替わるようにArthur Whetsolが学業の為にワシントンに帰郷することになるが、Charlie Irvisの推薦でArthur Whetsolの後釜としてBubber Mileyが迎えられた。
この頃に起きた事件がバンドリーダーであるElmer Snowdenとメンバーの間の金銭トラブルであり、結果として、バンドを去ったElmer Snowdenに代わりDuke Ellingtonがリーダーを務めることとなる。Duke Ellingtonのニューヨークに来て以来親交があったFred Guyをバンジョー奏者に加わえ、演奏活動を続けた。
1924年11月に行ったレコーディングは、Duke Ellington、Bubber Miley、Charlie Irvis、Otto Hardwick、Fred Guy、Sonny Greerの6名編成で行われた。"Choo Choo"と"Rainy Nights"の2曲が吹き込まれている。ちなみに、翌1925年にも2曲の吹き込みを行っているが、こちらには、Bubber MileyとSonny Greerは不参加であった。(この時期の録音には未発表テイクが多く、未発表テイクの中には2人が参加している録音もあるようだ)