Bubber Miley
基本情報
生年月日 |
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1903/04/03(Aiken, South Carolina) |
命日 |
1932/05/20(Welfare Island, New York) |
使用楽器 |
Trumpet, Cornet |
経歴
1903年にサウスカロライナのエイケンという街で生まれ、ニューヨークには1909年に両親に連れられて移住してきたようだ。父親のValentine Mileyはアマチュアとして音楽活動を続けるギター奏者であり、3人姉妹のConnieとRose、Murdisは、South Carolina Trioという名で活動するプロの歌手である。
最初に手に取った楽器はトロンボーンであったが、すぐにコルネットに転向。1年半の海軍での生活の後、ニューヨークでThe Carolina Fiveというバンドで音楽活動をした。1921年秋には、Mamie Smithのツアーに参加。その後、John O'Connor's Clubのハウスバンドで演奏をしていたようだ。
1924年頃のことと言われるが、Arthur Whetsolの後釜としてElmer Snowden率いるThe Washingtoniansに参加すると、リーダーがDuke Ellingtonに交代した後もこのバンドで演奏を続けた。1929年1月(3月説あり)に退団するまで、不在の期間はあるもののDuke Ellingtonの楽団員として活動していた。
1929年5月にNoble Sissleの渡欧に参加しフランスで演奏。パリからの帰国後は、Zutty Singletonのバンドに参加。1930年代前半は、ミュージカルのレビューで演奏をしていたそうだ。
結核にかかり、1932年4月18日に入院し、その1か月後に亡くなった。
Duke Ellingtonの楽団の初期のジャングル・スタイルの基調となったプランジャー・ミュートによるワウ・ワウ奏法は、Bubber Mileyが創始者であるという話もあり、Tricky Sam Nantonと共にこの時期のDuke Ellingtonの楽団の大きな柱となった。この時代のトランペット奏者の多くがLouis Armstrongの影響を受ける中で、数少ない例外的な黒人ミュージシャンという評価を受けている。
また、Duke Ellingtonの初期の傑作である「East St. Louis Toodle-Oo」の共作者としても知られている。