James A. Palao
基本情報
生年月日 |
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1879/02/19(New Orleans, Louisiana) |
命日 |
1925/01/08(Chicago, Illinois) |
使用楽器 |
Violin, Tenor Sax |
経歴
James A. Palaoは、ニューオリンズ出身のヴァイオリン奏者で、ジャズ発祥の頃の有名な楽団のリーダーやメンバーとして名が残されている。その経歴に比べてJames A. Palaoの名があまり知られていない理由は、彼が早死にしてしまったことにあると思われる。
1906年にはニューオリンズのImperial Orchestraに所属し、ヴァイオリンを弾いていた。1912年頃は101 RanchやVilla Cabaretで演奏していたという。その後、Bill Johnsonが組織したOriginal Creole Orchestraに参加し、アメリカ北部のヴォードヴィルのツアーに出る。Original Creole Orchestraでは、リーダーを務めたという話もある。なお、James A. Palaoの一家は、1916年頃から1918年までニューヨークに住み、ここを拠点としていた。
1919年にはシカゴに移り住み、Lawrence Duhéが率いるSugar Johnny's Creole Orchestraに参加する。King Oliverがこのバンドのリーダーを引き継ぎ、1921年6月にカリフォルニアをツアーした際には、James A. Palaoもこれに同行した。
カリフォルニアに到着してから約2ヶ月ほど経った時、仕事が減ってバンドの経営がうまくいかなくなっていたKing Oliverは、James A. Palaoを解雇しようと考えた。James A. Palaoと家族ぐるみの付き合いがあったドラム奏者のMinor Hallが、Palaoを解雇した場合は自分も脱退するとKing Oliverを脅したのだが、King Oliverはドラムの代役にBaby Doddsを呼び寄せて、Minor Hallを解雇してしまった。こうした経緯でJames A. PalaoはKing Oliverの元を離れることになった。
1923年にJames A. PalaoはSyncopated Ginger Snapsに参加するが、翌年には結核を患って、このバンドを脱退する。シカゴに戻った後、1925年1月に同地で没する。
ちなみに、1916年のJames A. Palaoの名刺には「jaz」の文字が所々に印刷されていたことから、ジャズという単語の由来を議論する際にPalaoの名刺の話がよく言及される。