Jabbo Smith
基本情報
生年月日 |
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1908/12/24(Pembroke, Georgia) |
命日 |
1991/01/16(New York) |
使用楽器 |
Trumpet , Trombone , Vocals |
経歴
本名は、Cladys Smith。ジョージア州のペンブルックの出身である。3歳の頃に父親が亡くなると、母親は幼いJabbo Smithを連れてこの地を離れた。地方の孤児院に入れられたJabbo Smithは、ここでトランペットとトロンボーンを習ったという。10歳の時には、Jenkin's Orphange Band(孤児院のバンド)でツアーをするようになった。
1924年にはフィラデルフィアで演奏をするようになっていたが、その後アトランタのCharlie Johnsonの楽団に加わった。その後Charlie Johnson楽団はニューヨークに行くが、この頃のJabbo Smithの演奏は、Johnson's Paradise Ten名義でいくつか残されている。1920年代前半には、他にErskine TateやCecil Scottなどとも演奏をしている。1927年11月にはDuke Ellingtonとセッション。これは録音も残っている。1928年の後半には、シカゴに移るが、ここではCarroll DickersonやEarl Hines、Tiny Parhamなどのバンドで演奏をした。
この頃には自身のバンドもあり、1929年にはJabbo Smith's Rhythm Aces名義で十数曲の録音を残している。Omer SimeonやIkey Robinsonを擁したこのバンドの演奏は、初期の名演に数えてしかるべきだろう。ここまで速いフレーズを自由自在に吹きこなすことができるトランペット奏者は、1920年代ではJabbo Smith自身を含めて数人しかいなかった。
1930年代前半もこの自身のバンドでの活動は続けるが、他にも数多くの楽団で働き、時にはツアーもこなしていたようだ。1936年には Claude Hopkinsの楽団に加入し、1937年にはこの楽団でレコーディングもしている。1938年にこの楽団を抜けると1944年まで自身の楽団で活動するが、その後はClaude Hopkins楽団に再加入している。
1940年代後半に一度は引退するが、1961年には復帰。何度かヨーロッパツアーを行なった。また、ブロードウェイの「One Mo' Time」(1978年)の成功で脚光を浴びた。このショウでは演奏をした他、アレンジもしている。長い闘病生活の末、1991年にニューヨークで亡くなった。
ジャズ史の上では、Louis Armstrongに挑んだトランペット奏者として知られている。Rex Stewartがその著書の中で語っているが、誰もが「Louisこそがジャズ王」と思っていた時代に彼に挑み、そして敗れた。だが、敗れたからといって侮ってはならない。その演奏は、天下のLouis Armstrongに挑むだけのことはある素晴らしいものだった。