New Orleans Rhythm Kings

提供: 初期のジャズ

ジャズ百科事典 > バンド事典

一言メモ

1920年代の多くの白人バンドやミュージシャンに大きな影響を与えた。
黒人やクリオールのジャズを否定せずにバンドのサウンドに取り入れた。
Jelly Roll Mortonとの録音は、史上初の人種混合での録音となった。

活動時期

1921年 ~ 1925年

主要メンバー

変遷

New Orleans Rhythm Kingsの中心メンバーであるPaul MaresGeorge BruniesLeon Roppoloの3人は、ニューオリンズで育った幼馴染で、1916年にはPaul MaresLeon Roppoloの二人はリバーボートで一緒に演奏をしていたようだ。1919年になるとPaul Maresがニューオリンズを離れ、シカゴのバンドに雇われるようになり、その翌年にはGeorge Bruniesも同じバンドに参加している。

1921年8月。シカゴのFriar's Innで歌手のBee Palmerを伴奏するバンドを組織する為に雇われたPaul Maresは、RoppoloBruniesを起用した。わずか数週間ほどでBee PalmerFriar's Society Orchestraを去った為、Maresがこのバンドのリーダーに任命され、その後暫くして、Maresはバンド名をNew Orleans Rhythm Kingsに変更した。

New Orleans Rhythm Kings

1922年8月にNew Orleans Rhythm KingsはGennettレーベルで吹き込みの機会を得る。Paul MaresGeorge BruniesLeon Roppoloの三人に加え、Cメロディーサックスを吹くJack Pettis、ピアニストのElmer Schoebel、バンジョー奏者のLou Black、ベースにSteve Brown、ドラムにFrank Snyderという8人編成であった。

1923年3月には、中心メンバーの3人にピアニストのMel Stitzelとドラム奏者のBen Pollackを加えた5人編成で、やはりGennettレーベルで録音(この時のGeorge Bruniesの"Tin Roof Blues"でのソロは有名である)。また、同年7月にはサックスセクションにJack PettisGlenn ScovilleDon Murrayを加え、バンジョーにBob Gillette、チューバにChink Martin、ドラムがBen Pollackという編成で録音を行う。この時にピアノを弾いたのがJelly Roll Mortonであり、これは白人と黒人が混成で残した史上初のレコードとなった。(ちなみにJelly Roll Mortonが参加していないテイクでは、Kyle Pierceがピアノを務めている)

New Orleans Rhythm Kings

こうした録音から分かるのは、同じ白人ジャズバンドのOriginal Dixieland Jazz BandNick LaRoccaがジャズのルーツとしての黒人を否定していたのに対して、Paul Maresがこれを否定しなかっただけでなく、むしろ積極的にその影響を取り入れようとしていたことだ。結果として、New Orleans Rhythm Kingsの録音で採用された曲の多くがディキシーランドジャズのスタンダート曲となり、一連の録音を聴いたAustin High GangのメンバーやBix Beiderbeckeに感銘を与えた。

1923年春にFriar's Innとの契約が終了していたこともあり、その後、New Orleans Rhythm Kingsは解散状態となるが、Paul MaresGeorge BruniesLeon Roppoloの3人は、各々で音楽活動を続けた。(Paul MaresLeon Roppoloの二人が行動を共にし、George BruniesTed Lewis' Orchestraに加入した)

1925年1月にPaul MaresLeon Roppoloは、New Orleans Rhythm Kingsを再結成し、Okehレーベルで4曲を吹き込んだ。トロンボーン奏者にSanto Pecora、テナーサックスにCharlie Cordellaを加えたこの時の録音も名演であるが、残念なことにLeon Roppoloは精神的に不安定な状態に陥っており、同年3月の録音(こちらはVictor)には参加できなかった。そちらではCharlie Cordellaがクラリネットに持ち替えて演奏している。

Paul Maresはこの時の録音を最後にフルタイムでの音楽活動からは引退し、家業の毛皮業に従事するようになった。Leon Roppoloは精神病院で過ごすことを余儀なくされた。George Bruniesは音楽活動を続け、1934年と1935年の二回にわたるNew Orleans Rhythm Kings名義での吹き込み(Deccaレーベル)にも参加しているが、残念なことに、このレコーディングに参加したオリジナルメンバーはBruniesだけだった。

録音