George Brunies

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基本情報

生年月日
1902/02/06(New Orleans, Louisiana)
命日
1974/11/19(Chicago, Illinois)
使用楽器
Trombone

経歴

George Clarence Bruniesは、ルイジアナ州ニューオーリンズで音楽一家に生まれた。父親は家族バンドを率いており、Georgeの4人の兄(HenryMerrittRichardAlbert)は皆、ニューオリンズで名前を知られたミュージシャンになった。

George Bruniesは8歳の頃からPapa Jack Laineが指導する少年バンドでアルト・ホルンを演奏していた他、父親が率いる家族バンドでも活動していた。なお、最初にトロンボーンを演奏したのは、Alfred Laine(Papa Jack Laineの息子)が率いる楽団であった。

10代の頃、ポンチャートレイン湖の近くの酒場でLeon Roppoloと共演。1919年に、シカゴに移ると、ドラム奏者のRagababy Stevensのバンドに参加する。シカゴでは、Elmer Schoebelとも共演。その後はシカゴを離れ、Paul Maresと共にリバーボートS.S.Capitol号に乗り、船上バンドで演奏していた。

1921年にシカゴに戻ると、Paul Maresが率いるFriar's Society Orchestraに参加し、New Orleans Rhythm Kingsの創設メンバーとなった。New Orleans Rhythm KingsFriar's Innの契約が切れると、1924年にはGeorge BruniesNew Orleans Rhythm Kingsを離れ、シカゴのEddie Tancilと共に活動。その後、Ted Lewisの楽団に加入する。

Ted Lewisの下では1924年から1934年まで演奏していた。なお、この間、Ted Lewisと共に渡欧もしている。

Ted Lewisの楽団を退団した後は、暫くLouis Primaのバンドで活動。1935年初頭にはMills Cavalcade Orchestraのリーダーとしてツアーに出ている。1936年から1938年頃まではニューヨークの有名なジャズクラブであるNick'sのハウス・ミュージシャンとして演奏していた。1930年代後半は、Sharkey BonanoLouis PrimaChauncey MorehouseBobby Hackettと共演している。

1940年代に入っても、Nick'sで自身のバンドを率いる等の活動も行っているが、その他には、1940年代初頭にArt Hodesと、1943年8月から1946年1月んいはTed Lewisと、更に1947年1月から1949年6月まではEddie Condonと活動している。

1950年には再びArt Hodesと共演。その後、1951年から1959年までジャズクラブのClub 1111で自身のバンドを率いていた。1950年代後半から1960年代初頭にかけては、ウィスコンシン州マディソンやシンシナティでも自身のバンドで演奏。

1960年代も音楽活動を継続的に行っており、Muggsy SpanierArt Hodesとの共演があった。