Paul Mares

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基本情報

生年月日
1900/06/15(New Orleans, Louisiana)
命日
1949/08/18(Chicago, Illinois)
使用楽器
Trumpet

経歴

Paul Joseph Maresは、New Orleans Rhythm Kingsのリーダーであり、トランペット奏者である。

Paul Maresの父親のJoseph P. Maresもトランペット奏者であった。16歳の時には、ニューオリンズのポンチャートレイン湖のバックタウンで幼馴染のLeon Roppoloと共に演奏していたという。ニューオリンズでは、他にTom Brownとも仕事をしていた。

1919年にはシカゴに移り住むと、Camel Gardensで演奏していたドラム奏者のRagababy Stevensのバンドに加入。ニューオリンズ時代から付き合いがあるTom Brownとはシカゴでも共演している。また、Kelly's Stablesではトロンボーン奏者のGeorge Bruniesと演奏。その後、Paul MaresGeorge Bruniesは、リバーボートS.S.Capitol号に乗り、Dixon's Bandで活動する。

アイオワ州ダベンポートに滞在中のこと、Paul Maresは幼馴染のLeon Roppoloと再会する。Paul MaresGeorge BruniesLeon Roppoloの3人は、1921年8月にシカゴに戻り、Friar's Innに出演していた歌手のBee Palmerの伴奏バンドの仕事を得る。この伴奏バンドはFriar's Society Orchestraと呼ばれていたが、僅か数週間ほどでBee Palmerが去ると、リーダーを任されたPaul Maresがバンド名をNew Orleans Rhythm Kingsに変更した。

New Orleans Rhythm Kingsは、1922年から1923年にかけてGennettレーベルで吹き込みの機会を得る。Jelly Roll Mortonとの共演も含む一連のセッションで採用された曲の多くは、ディキシーランドジャズのスタンダートとなった。

1923年春にFriar's Innとの契約が終了していたことから、1923年夏にはNew Orleans Rhythm Kingsは解散し、Paul MaresLeon Roppoloは、ニューヨークに渡る。ニューヨークではAl Siegalと演奏をしていた。

1924年後半か1925年初頭、Paul MaresLeon Roppoloは、ニューオリンズに帰郷。故郷でNew Orleans Rhythm Kingsを再結成し、録音も残している。しかしながら、相棒のLeon Roppoloが精神的に演奏を続けられない状態になっていたことも影響したのか、Paul Maresは、1925年の録音を最後に暫く音楽活動から離れることになる。

音楽活動から離れている間、家業の毛皮業に従事。マスクラットの毛皮の卸売り業であった。

1934年になると、Paul Maresはシカゴに戻り、バンドを結成。1935年1月にシカゴにあったHarry Hepp's New York Barで再デビューを果たした。こうした音楽活動と並行し、バーベキューレストランの経営も行っていたが、このレストランはまもなく売却することになった。第二次世界大戦中は工場で働いていており、音楽活動は休止していたようだ。

大戦が終わる1945年に音楽活動に復帰。1948年2月、シカゴのBlue Noteでの演奏の為に新しくバンドを結成する。1948年夏にTin Pan Alley ClubでのギグがPaul Maresの最後の演奏となった。