Leon Roppolo
提供: 初期のジャズ
基本情報
生年月日 |
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1902/03/16(Lutcher, Louisiana) |
命日 |
1943/10/14(Louisiana) |
使用楽器 |
Clarinet |
経歴
ルイジアナ州のラサセンで生まれた白人でNew Orleans Rhythm Kingsのクラリネット奏者として有名である。少年時代にはバイオリンやクラリネットの他、ギターも学んでいたようだ。1916年(14歳のとき)に家出をし、George BruniesやPaul Maresと演奏をした。その後、リバーボートで演奏するようになり、このころ伝説のコルネット奏者Emmett Hardyと出会ったと言われる。その後シカゴに移ると、1921年にPaul MaresのFriars Society Orchestraに参加した。これが後のNew Orleans Rhythm Kingsとなる。
1923年にはPaul Maresとともにニューヨークに行ったり、その翌年にはPeck Kellyとともにテキサスで演奏したり、と各地を巡業していた。また、この頃には彼のクラリネットのスタイルも確立されつつあったようで、その奏法は多くのシカゴ派と言われる演奏者に影響を与えた。
ニューオリンズに戻ってからは、主にAlbert Bruniesと演奏していたようだが、当時の彼は麻薬中毒でステージの合間にトイレに駆け込んでは麻薬をやっていたとのこと。おそらく、その影響であると思われるが、視力と肺が悪くなりクラリネットが吹けなくなった。精神的に病んだRoppoloは1925年頃に精神病院に収容され、死ぬまでそこで過ごした。(精神病院内でバンドを組んだという話が残っている他、1940年初頭には一時的な退院を許され、公の場で演奏したこともあったようだ)
彼の最後に吹いたクラリネットは、彼自身の手によって湖の底に沈められたと伝えられている。