Jimmy Harrison
基本情報
生年月日 |
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1900/10/17(Louisville, Kentucky) |
命日 |
1931/07/23(New York, New York) |
使用楽器 |
Trombone |
経歴
Duke EllingtonとElmer Snowdenが、この一人のトローンボーン奏者をめぐって激しい争奪戦を繰り広げた、というのはRex Stewartの証言だが、たしかにJimmy Harrisonにはそれだけの実力が備わっていた。彼から影響を受けたトローンボーン奏者には、Jack Teagarden、Dicky Wells、Tommy Dorseyがいる。他にも、J.C. HigginbothamやSandy Williams、Vic DickensonなどにもJimmy Harrisonの影響が感じられるというのは、やはりRex Stewartの発言だ。「the father of swing trombone」と呼ばれる偉大なトロンボーン奏者であった。
ケンタッキー州ルイヴィルで生まれたJimmy Harrisonは、6歳の頃にデトロイトに引越し、その後はそこで育った。トローンボーンは独学で学び、15歳の頃には小編成のバンドで演奏するようになった。しかし、Jimmy Harrisonは音楽に飽きたのか、すぐにバンドから抜けてしまう。そして、ハイスクール時代は野球をして過ごした。なんでも名一塁手であったそうで、地元のセミプロチームの遠征に加わると、その後高校には戻ってこなかったという。
Jimmyの一家はオハイオ州のトリドという街に引越すが、高校をやめたJimmyは、父の経営するレストランで働き、店の人気者になった。実際、音楽家として身を立てた後も自分の料理の腕を誇りにしていたという。だが、料理人としての彼のキャリアは短いものだった。つまみ食い騒ぎを何度か起こした挙げ句、店を飛び出したのだ。その後の彼は、ミンストレルのツアーに参加し、歌を歌ったりトローンボーンを吹いたりして暮らした。1919年ごろのことだと言われる。
この地方巡業後の彼の足跡は、いくつかの証言をつきあわせると、自身のトリオバンドを率いたり、デトロイトでHunk Duncanと演奏したりしていたようだ。その後、トレドの街でJune ClarkとJames P. Johnsonと出会い、意気投合する。かれらとは1921年から1923年まで行動を共にし、ツアーにも出かけている。1923年にはFess Williamsのバンドに加わりニューヨークにやってきた。その後も親友ともいうべきJune Clarkとクラブなどで演奏をするが、ここでは若き日のBill Basie(のちにCountというあだ名がつく)がピアノを担当していたという。Duke Ellingtonとも演奏をする機会があった。他にも多くのバンドに参加したが、その中にはElmer Snowdenの楽団もあったという。
1927年から1931年にかけてはFletcher Hendersonの楽団でプレイした。一度は楽譜が読めないことを理由に解雇されたが、とんでもない間違いを犯したことに気がついたFletcher Hendersonは大慌てで彼を再雇用したという。彼はソロ奏者として人気を集め、また同僚のColeman Hawkinsとは互いに実力を認め合う良き友であったようだ。1930年に胃癌で入院するが、音楽的には順調な時期であった。ちなみに1931年にはChick Webb楽団でも演奏している。
Jack Teagardenとも仲が良く、幾度かジャムセッションをしていたそうだが、この二人の共演は深夜のクラブやレントパーティなど非公式の場に限られた。人種の壁が、公式の場で(例えばレコーディングなど)二人が演奏することを阻んだのである。だが、この二人の偉大なトローンボーン奏者の共演があったことは、当時のミュージシャンの証言によって明らかになっている。時にはColeman Hawkinsもこの二人に加わり演奏を楽しんだ。また、Jack TeagardenがFletcher Henderson楽団に加わって演奏をしたという話もあり、黒人差別がまだ根強く残っていた時代であっても、Jimmy HarrisonとJack Teagardenが互いに尊敬しあい、交流を続けていたが分かる。
Jimmy Harrisonは1931年に亡くなった。30歳の若さであった。死因は前の年に患った胃癌であった。若くして亡くなったため、驚くほど過小評価されているが、トローンボーン奏法のその後10年間の方向性を決定づけたと言っても良いだろう。まさに「the father of swing trombone」であった。