Harry Dial
基本情報
生年月日 |
---|
1907/02/17(Birmingham, Alabama) |
命日 |
1987/01/25(New York, New York) |
使用楽器 |
Drums, Vocals |
経歴
Harry Dialは、ジャズ草創期からハーレム時代にかけて、セントルイス、シカゴ、ニューヨークで活動したドラム奏者である。生まれはアラバマ州バーミングハムであったが、1909年からセントルイスで暮らしていた。
セントルイスの地元のバンドでドラムを叩き始め、1921年8月に初めてプロとしての演奏をしたという。1922年には自身のバンドを率いており、この頃からクラリネット奏者のSidney Costellaやトランペット奏者のDewey Jacksonとギグをしていた。
1923年に蒸気船のJ.S.号のFate Marableの楽団に参加。その後、約3年間、Fate Marableの下で仕事をしていた。他にもNorman Mason's Carolina Melodistsや蒸気船のS.S.Capitol号のDewey Jacksonの楽団にも参加。Jimmy Powell率いるJazz Monarchsでも働いた。
Jimmy Powellの下を離れた1928年2月にシカゴに移ると、ヴァイオリン奏者のWilson Robinsonと共演。1929年にはJunie Cobbの楽団のレコーディングにも参加している。1930年はJerome Don Pasquallの楽団に参加した他、自身が率いるHarry Dial's Blusiciansでも録音を行っていた。更にBernie YoungやIra Coffey、Ida Mae Marples等と共演後、1933年3月にLouis Armstrongの楽団に加入する(それまでドラムを担当していたYank Porterの代役であった)。
Louis Armstrong楽団の解散後、3か月程の期間であったがIda Mae Marplesの楽団に再加入。1933年後半はIra Coffeyの下で活動し、1934年1月にニューヨークに移り住んだ。
ニューヨークでのHarry Dialは、主にSmalls Paradiseを活動拠点とし、Sam WoodingやFerman Tapps、Wen Talbot等と働いた後、Smalls Paradiseのハウスバンドのドラム奏者として働くようになる。
1934年末頃にSmalls Paradiseを訪れたFats Wallerが自身のレコードに参加するメンバーを探しており、気に入られたHarry Dialは1935年春にFats Wallerのレコードに参加する。
1930年代後半はドラム奏者としてだけでなく、音楽業界のコピーライターとしても活動するようになり、第二次世界大戦中は国防省の工場で働く傍らでギグも続ける。なお、1940年代はLouis JordanのTympany Fiveのメンバーとしても活動しており、そこではマラカスを担当していた。
1947年から1955年までSmalls Paradiseで演奏。1960年代以降も自身の小編成のバンドを率いていた。