Dewey Jackson
基本情報
生年月日 |
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1900/06/21(St. Louis, Missouri) |
命日 |
1963?(?) |
使用楽器 |
Trumpet |
経歴
Dewey Jacksonはセントルイス出身のトランペット奏者で、10代前半の頃からOdd Fellows Boys' Bandで演奏していた。その後、1916年から1917年にかけて、セントルイスのTommy Evansのバンドに加わったのがプロの音楽家としての初仕事になった。
1918年頃はGeorge Reynolds' Keystone Bandで演奏し、1919年5月にはリバーボートのJ.S.号でCharlie Creathと共演している。1920年から1923年までは自身の楽団であるGold Melody Orchestraを率いる。1924年春からはS.S.Capitol号で演奏していたFate Marableの楽団に参加。1925年にはS.S.Capitol号の船上での仕事を自身が率いるPeacock Orchestraで請けていたという。その後、J.S.号でも演奏しており、この時期の音楽キャリアの殆どをリバーボートで過ごした。
1926年8月にDewey Jacksonはニューヨークに移り、Cotton Clubで演奏していたAndrew Preer's Cotton Club Orchestraに4か月間だけ加わる。その後、ニューオリンズに移った際にS.S. St.Paul号の演奏の仕事でFate Marableの楽団に再加入する。
1927年夏はCharlie Creathの楽団で過ごし、その後、1929年までは自身のバンドを率いる傍らで、時折、Fate Marableの楽団に加わることもあったようだ。1930年9月から1932年5月まではセントルイスのCastle Ballroomで自身の楽団を率いた。1934年にはCharlie Creathの下で演奏。1936年にはCharlie CreathとFate Marableの双頭バンドで活動している。
1937年以降、夏にはリバーボートで演奏し、冬にはセントルイスのボールルームなどで演奏をしていた。リバーボートでの演奏は1941年まで続け、その後、船を降りたDewey Jacksonは、地元のセントルイスのボールルームやクラブでバンドを率いていたようだ。ホテルのコミッショナーとして働き、この時期の音楽活動はフルタイムではなくなっていたと言われている。
1950年代になると、本格的な音楽活動を再開し、Singleton Palmerの楽団やピアニストのDon Ewellのトリオに参加。更には、自身のバンドを結成し、1950年代を通して、演奏を続けていたが、1960年代に入ると演奏の頻度は減っていたようである。