Red Nichols
基本情報
生年月日 |
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1905/05/08(Ogden, Utah) |
命日 |
1965/06/28(Las Vegas, Nevada) |
使用楽器 |
Cornet |
経歴
Ernest Loring "Red" Nicholsは、1920年代に人気を集めた白人コルネット奏者のひとりであり、4歳頃からラッパを吹き始め、5歳からコルネットを演奏していたという。父親もミュージシャンでクラリネットを専門としており、Red Nicholsが12歳の時に父親の吹奏楽団に参加したという記録が残っている。1919年12月にカルバー陸軍士官学校に入学すると、1920年9月に退学するまでの間に同校でコルネット、ヴァイオリン、ピアノを演奏していた。
その後、ユタ州に戻ると、1922年にはRay Stilsonと共演し、ここでコルネットとヴァイオリンを担当した。同年、Syncopating Fiveの録音にも参加している。Red Nicholsは、この楽団のリーダーとなり、楽団の名前をRoyal Palms Orchestraと変えた。Royal Palms Orchestraでは、アトランティックシティやインディアナを訪れている。
1923年9月頃からニューヨークでピアニストのJohnny Johnsonのバンドに加入するが、Johnny Johnsonがバンドを離れることになった為、1924年初頭から3か月ほどの間、このバンドのリーダーを務めた。1924年後半にRed NicholsはSam Laninのバンドに参加。その他にもHarry Reser、Benny Krueger、Ross Gorman、Henry Halstead、Vincent Lopez、Don Voorhees等の共演やCalifornia Ramblersでの演奏がある。また、1927年には短期間ではあったがPaul Whitemanの楽団にも参加した。
1928年から1930年にかけては、ブロードウェイのショーに出演した他、カリフォルニアのツアーも行っている。その後も1930年代を通して、自身のバンド(The Five Pennies、The Redheads、Charleston Chasers等)での録音、Hollywood HotelやPark Centralへの出演、他の都市へのツアーを行っていた。(大恐慌が訪れて多くのミュージシャンが苦境に陥る中、Red Nicholsがこれを乗り越えることができたのは、ブロードウェイへの出演をきっかけに多くの仕事を得ることができたからだと思われる)
一連のセッションでは、トロンボーン奏者のMiff Mole、クラリネットのJimmy Dorseyと組むことが多かったが、徐々にメンバーが豪華になり、Benny Goodman、Glenn Miller、Jack Teagarden、Pee Wee Russell、Joe Venuti、Eddie Lang、Adrian Rollini、Gene Krupa等の有名な白人ミュージシャンがRed Nicholsのセッションに参加するようになった。
1950年代はカリフォルニアを中心に活動していた。1950年には映画「流砂」に出演。1959年にはRed Nicholsの経歴を元にした映画「5つの銅貨(The Five Pennies)」が制作される。1959年には映画「The Gene Krupa Story(Drum Crazy)」に出演。こうした活動がプロモーションとして効果を発揮し、Red Nicholsの成功の後押しとなり、Red Nicholsは自身のバンドを率いて活動を続けた。1965年にラスベガスのカジノを訪れた時に、カジノ近くのホテルで心臓発作を起こし、亡くなった。