Adelaide Hall
基本情報
生年月日 |
---|
1901/10/20(Brooklyn, New York) |
命日 |
1993/11/07(London, England) |
使用楽器 |
Vocals |
経歴
Adelaide Hallを有名にしたのは、Ellington Orchestraで1927年に録音した "Creole Love Call" ということになるのだろうが、ここでカウンターメロディーを歌った彼女のボーカルは、この楽団にぴったりとはまっていて、ゲストミュージシャンとは思えぬほどのエリントニアンぶりであった。
Adelaide Hallの父は音楽教師で、歌もその父から教わった。父が死んだ1920年代初め頃からステージに立つようになり、黒人ミュージカルショーで仕事をしていた。1925年5月にヨーロッパ公演。その後は、ニューヨークで活躍していたようだ。
水夫をしていたBert Hicksと結婚したのはヨーロッパツアーをしていた頃だったという。Bert Hicksは妻となったAdelaide HallのためにLa Grosse Pommeという店を開いている。
1927年10月に録音されたEllington Orchestraの "Creole Love Call" でのAdelaide Hallについては、はじめての歌詞のないボーカル(スキャットについてはここでは数に入れないということだろう)ではないかという評論家もいるが、まるで管楽器のように使われた彼女のボーカルは一聴の価値ありである。Duke Ellingtonにはよほど気に入られたのか、1932年にもEllington Orchestraのレコーディングに参加している。
1932年以降もニューヨークで活動し、Art Tatumをバックに歌っていた。1936年にWillie Lewisのパリでの録音に参加した折に、そのままヨーロッパに留まり、ロンドンに住居を構える。市民権を得るとその後は、イングランドのキャバレーやショーで歌って過ごした。ラジオへの出演や映画館でも歌っていたようだ。
1960年代、夫の死後しばらくは音楽から遠ざかるが、1969年にHumphrey Lytteltonのレコーディングに参加した頃から活動を再開し、死の直前まで精力的に歌っていた。1988年には、カーネギーホールへの出演も果たしている。